我が国に佛教を興隆し、斑鳩寺を始め七大寺を建立した〝厩戸皇子〟の「聖徳太子」。日本の戦前戦後の高額紙幣から姿を消して久しいが、日本人にとって歴史上一番馴染みの深い人物だ。その太子も暮らした、美しい里「いかるが」。千四百年の時を経て、太子一族上宮王家の歴史の舞台を駆け抜けた物語と信仰の足跡を留めている郷でもある。21世紀の今、日本国が大きく姿を変えようとする激動の時代、法隆寺だけでは無い、門前に暮らした人々の文化に思いを馳せ触れるのも一興。龍田町場(奈良街道旧宿場町・片桐且元四萬石居城と城下)・法隆寺西里東里(にっさとひがしさと)・大字五百井(いおい)・大字興留(おきどめ)は専門家でもブルブルと歴史を感じ、新発見の驚くことばかり。おもろい在所だ。
解説にあたっての専門家としての言:歴史学の最新の成果に基づく歴史像と一般国民が抱く歴史像の間には大きな開き・溝があることは、何度となく有識者の間で指摘されてきた。この溝を埋めるのが歴史書の役割であるが、歴史書と言っても高度な学術専門書・希少限定の報告書・教育関係図書、一般向けの一般書、それをコンパクト・ダイジェスト版にした新書や文庫・私家本など様々である。地域史を描く仕事の〝地域を語る〟にあたって、これら図書や学術論文に精通し〝虚像と実像〟を見抜く洞察力を持ち合わせる事が重要である。一般書・伝承から自説の主張などでは、自然科学である歴史学の方法論を踏まえた地域史は描けない。
21世紀の世にあっても47都道府県中唯一の〝総合博物館〟すら無く、行政が編纂する『県史』も未だ編纂されて無い〝奈良県〟にあって、斑鳩町に於ける町立図書館に平成22年併設された〝聖徳太子歴史資料室〟(文献史料6,000点)の存在は重要である。『記・紀・万葉』だけが奈良県の歴史では無いはずである。しっかりと地域の歩んだ歴史地理(地歴)・地勢・文化を郷土の誇りとして次世代を担う子供達に郷土愛を伝授すると共に、来訪者に対しても伝えなければならないと考える。この事こそ国難である日本の〝地域創生〟の智恵を生むと思われる。また観光とは、歴史的事実に基づいて、伝説・伝記・伝承を織り交ぜて〝地域の現在物語り〟を語り伝え、来訪者の人生時間の中に知的・物的満足を与えられるかであろう。
本(2018)年は日本国が、西欧と対等の近代化に踏み出した〝明治維新150年〟の節目年、昭和43年の政府が主導した〝明治百年〟から半世紀、〝世界に確たる国「日本」〟と〝日本人・日本文化継承・誇り〟をもっともっと持ってもいいのではなかろうか。
(freelance鵤書林152 いっこうZ2記)
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