聖徳太子の隠れ聖蹟といかるがの里E-12020.05.11 23:18斑鳩の国地名と難解地名 大和には多くの難解地名が存在する(近年の住所表示改変や信号道路標示の設置で消滅・現代人の都合で改変されたものも少なくない)。また、大和郡山市・三宅町・高取町・桜井市・天理市にも存在するが、斑鳩町内の地名として、全国の国地名をもつ大字も見受けられる地域である...
いかるがの里テッチャンと隠れ佛・隠れ旧蹟92020.05.11 03:21神岳神社(かごおかじんじゃ)と神南寺址―重要文化財神像系地蔵菩薩・聖観音貞観の遺佛 神南寺上ノ堂(三室堂:能因法師(俗名橘永愷・中古三十六歌仙の一人)が住まいしたと言う伝承:永承4(1049)年内裏歌合で詠んだ歌によって移植)境内地に鎮座するのが神南の鎮守神岳神社。斑鳩では数少な...
いかるがの里テッチャンと隠れ佛・隠れ旧蹟82020.05.11 03:01三代川(みよがわ)と目安代官助宗断根碑―斑鳩の大恩人 〝目安代官助宗(すけそう)〟とは、「杉岡助三郎(戒名日諦山宗久居士)」の事で、目安融念寺(融通念仏宗)境内に五箇村農民が明治39年4月に建立した顕彰碑〝代官助宗断根碑〟が人知れず建っている。斑鳩の大恩人で地元では、〝助宗さん〟...
いかるがの里テッチャンと隠れ佛・隠れ旧蹟72020.05.11 02:43唯一残った沈下橋―古の大和川の橋 潜水橋と異名で呼ぶ人がいるが、この種の橋は、〝沈下橋〟と言うのである。まだ、四国あたりの河川でも多く残る。 大和川では、この昭和27年施工12連RC床版橋の全長67m〝大城橋〟のみ(全幅2.6m・有効幅員2.0m)。橋名は大字大輪田と大字城内の共...
いかるがの里テッチャンと隠れ佛・隠れ旧蹟62020.05.11 02:30『国宝春日権現験記絵』に記載された目安「竹林殿」―名刹惣持寺鎮守春日社の創建 大字〝目安(めやす)〟は、大和川の自然堤防上に形成された集落で、安寧〝水安(みずやす)〟からの転訛と考えられている。 魚梁船(やなぶね)の濱が向かいの御幸ケ瀬(ごこうがせ・かわいの濱、大和川に架かる廣瀬...
いかるがの里テッチャンと隠れ佛・隠れ旧蹟52020.05.11 02:13幻の斑鳩「興留藩」―松平信通一万石とその陣屋址 大字興留(おきどめ)は、東西に発達した歴史を秘めた垣内である。「東垣内」には氏神があり、古い垣内で「西垣内」に広がりを見せた事がわかる。その間を繋ぐのが「市場垣内」である。 伝承では天智帝の頃字王宮・字大殿に住まいした天淳中原興間人...
いかるがの里テッチャンと隠れ佛・隠れ旧蹟42020.05.11 01:54名工丹波佐吉の狛犬と斑鳩の神社 阿波・厳島神社(弘化4年)・興留・素蓋嗚神社(安政4年)・神南・神岳神社(文久3年)の狛犬は渡り石工(石大工)丹波佐吉(文化13年生まれ。但馬国竹田出身・本名照信・丹波大新屋・難波金兵衛宿)の31歳・37歳・47歳作品。これだけ地域に多いのは珍しい...
いかるがの里テッチャンと隠れ佛・隠れ旧蹟32020.05.11 01:45興留素戔嗚神社本殿―室町末の県重要文化財指定建造物 社の由緒沿革は不詳であるが、現在は須佐之男命を主神とする。本殿は一間社春日造り檜皮葺で、斗共*の形式・暮*股の輪郭・向拝虹梁の反りなど細部は中世後期の様式を示す。 全体的に保存も良く室町末期の社殿の例として、県の重要文化財建造物...
いかるがの里テッチャンと隠れ佛・隠れ旧蹟22020.05.11 01:34幻の新法隆寺駅址と天理軽便鉄道 法隆寺駅南口のロータリー(現交番の場所・北口は昭和46年開設)にあったのが、「天理軽便鉄道」幻の駅〝新法隆寺駅〟である。明治45年免許・大正4年2月開通し、国鐡関西本線法隆寺駅から大和盆地を東西に横断して、一般客と共に大阪からの天理教信者を天理まで...
いかるがの里テッチャンと隠れ佛・隠れ旧蹟12020.05.11 01:03斑鳩町の近代化遺産・鉄路―寺へは遠い法隆寺駅 奈良大和路は〝鐡道マニア〟(乗鉄・撮鉄・歩廃線の鉄チャン)の〝聖地〟である。今年(平成30年)100年を迎えた我が国最古のケイブルカー・ロープウェイも現役、東海道線に先駆けて敷設された列島動脈関西線、和歌山線も走る。そして大和路の観光...