池田末則と池田源太 (大和歴史人物事績12)2018.06.01 14:15 池田末則(すえのり)氏と池田源太(げんた)氏は、混同して語られている記録もあるが、何ら血縁関係には無い個々の奈良大和で活躍した地名学博士と日本文化史博士だ。ただ時を同じくして逝去後、両人の蔵書が奈良天理市・大阪天王寺区に本部のある古書店に大量に流失した事...
關藤次郎と關信太郎 (大和歴史人物事績11)2018.04.08 11:28 依水園主人・關藤次郎(せきとうじろう・1864~1931)は呉服商であり、明治ならまち七人衆一人の実業家であった。元治元(1864)年、代々絹布麻布を商う繊維問屋の關藤右衛門の長男として誕生。幼少より和歌・漢詩に親しみ、茶道・絵画へと数奇の世界...
なら 名勝依水園と關藤次郎 (南京観光豆知識14)2018.04.08 11:18 奈良市の名勝依水園(いすいえん)庭内の寧楽美術館が開館から60周年で初の開催となる「依水園主人關藤次郎の軌跡」と称した遺品を並べた回顧展覧にあたり、園と藤次郎について記す。展示48点資料の展示図録・展示目録・解説書が皆無の中、知り得た事柄を記...
法隆寺再建非再建論争 (南京観光豆知識11)2018.03.07 23:47 法隆寺再建非再建論争とは、法隆寺の伽藍建造物が我が国最古(=世界最古木造建造物)である事から、建築史・美術史・文献史学・考古学・金石学の諸家を巻き込んで、明治末期から半世紀にわたっての学会挙げての大論争。 非再建先鋒の足立康(あだちやすし・1898~1941)・総師建築史碩学関...
飛鳥 南都明日香ふれあいセンター犬養万葉記念館 名所旧蹟212018.03.06 17:29 高市郡明日香村岡にある南都明日香ふれあいセンター犬養万葉記念館は、萬葉集と明日香村をこよなく愛し、景観保護のために尽力した明日香村名誉村民で大阪大学・甲南女子大学名誉教授の犬養孝(明治40〔1907〕~平成10〔98〕・文化功労者)を顕彰し平成12年開館。萬葉風土学を確立し「犬...
會津八一の定宿かせ屋と大黒屋 名所旧蹟182018.03.06 17:05 會津八一の定宿は、法隆寺村五丁町の芝ノ口にある大黒屋ではなく、「かせ屋(加世屋)」であった様だ。 高浜虚子(1874~1959)の短編小説『斑鳩物語』1907の書き出し「法隆寺の夢殿の南門の前に宿屋が三軒ほど固まってある。其の中の一軒の大黒屋といふうちに車屋は梶棒を下した。急が...
法起寺(ほおきじ・ほっきじ) 名所旧蹟172018.03.06 16:49 法起寺は、聖徳太子が、推古天皇14(606)年法華経を講じ、創建した七大寺随一の一つとするが、岡本宮を山背大兄王(?~皇極天皇2〔643〕)によって寺に改めたと言うのが通説。古代には池後寺・岡本寺と呼ばれていたようだ。 天武14(685)年、恵施僧正が発願の三重塔(景雲3(70...
なら 永野鹿鳴荘(ろくめいそう) 名所旧蹟92018.03.06 15:15 永野鹿鳴荘は、奈良国立博物館東の茶屋で今日のミュジアムショップ&カフェと言った処だが、永野太造(ながのたそう・大正11〔1922〕~平成12〔1990〕)の叔父夫婦の親が明治30年、館に指定されて創業した店である。博物館に向かい合った元来の入口には、明治の漢詩人佐藤六石(186...
なら 飛鳥園(あすかえん) 名所旧蹟82018.03.06 15:02 博物館の向い、登大路に面する飛鳥園は、小川晴賜(おがわしょうよう・明治27〔1894〕~昭和35〔1960〕)が現在位置で大正11年開業。晴賜は大阪朝日新聞写真部所属の傍ら画家志望で寺院や頭塔石仏で画想を練っていた頃、會津八一と運命的出会いを果たす。意気投合すると共に熱心な勧め...
なら 工藤精華堂(くどうせいがどう)址 名所旧蹟72018.03.06 14:51 工藤精華堂は、徳島出身の工藤利三郎(くどうりさぶろう・嘉永1〔1848〕~昭和4〔1929〕)が明治26年猿沢池東岸菩提町に開業した写真館。後大正13年賑わう登大路の博物館北側に移り、「精華苑」と称す。奈良に於ける佛教美術写真の先哲である。 自ら坂東武者・工藤祐経(すけつね)の...
なら 松山鹿鳴園(ろくめいえん) 名所旧蹟62018.03.06 14:38 松山鹿鳴園は、松山志良(年譜不詳)が転害門近くで昭和初期に開いた写真画材の店。薬品調合名手としても知られ、入江泰吉などは特別配合現像液を調達したと言う。自らも法隆寺や東大寺の仏像を撮影し、松山調の黒バック写真は土産仏像写真葉書にあり、戦後寺社のカラー絵葉書・萬葉植物園写真に「国...
なら 日吉館(ひよしかん)址 名所旧蹟52018.03.06 14:22 奈良の日吉館は大正4年頃木造二階建の下宿兼旅館で開業し、明治43年磯城郡南吐田生れの田村キヨさんが昭和5年に氷室神社宮司の世話で寅造青年に嫁いでから、名物スキ焼と人柄で持て成し切り盛りした学者・文人・学生の噂の名物旅籠。大正10年以来會津八一の定宿とし「奈良でのわが家」と称し昭...