三代川(みよがわ)と目安代官助宗断根碑
―斑鳩の大恩人
〝目安代官助宗(すけそう)〟とは、「杉岡助三郎(戒名日諦山宗久居士)」の事で、目安融念寺(融通念仏宗)境内に五箇村農民が明治39年4月に建立した顕彰碑〝代官助宗断根碑〟が人知れず建っている。斑鳩の大恩人で地元では、〝助宗さん〟と愛称を込めて呼び、毎年5月6日に村総代が集まって法要が営まれているが、現代斑鳩町住民の記憶には無い。
「字オヤシキ」が代官屋敷跡と伝承する(助宗は、平群郡楽人領など8箇村(椿井・平等寺・安明寺・中宮・若井・惣持寺・神南・目安)の大庄屋)。
「昔、目安村には二十町歩の荒れた土地があった。私財を投げ打って現三(見)代川を東西に開削して排水を良くし、毎年五百七十余石の増収となって農民の為に貢献した。目安だけでは無く稲葉車瀬・小吉田・五百井・服部の五箇村がその恵みに浴した訳である。處が延享4丁卯(1747)年に大和川大洪水があった。見代川の下流塩田川が水ついて五箇村が危うくなったので一夜の内に助宗が堤を切って神南の方へ流した。そこで〝水論〟となり、京都奉行所へ訴訟事件が持ち上がった。織田柳本藩の仲裁で事件は済んだが、代官助宗は一身にその重罪を受けて入牢刑死になり、一家子孫断絶した」と云う。
現在1m程地上げした新興住宅が広がる興留から続く目安は泥田の地であり、大字服部の旧垣内は2mも嵩上げした一種の輪中集落である。
【freelance鵤書林207 いっこうD8記】
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