世界遺産法隆寺じっくり散策12020.04.25 14:49国宝東大門―単層切妻三間一戸八脚門 西院伽藍の東向き東門である。ここに立てば、東院の四脚門(四足門)である西門へと続く石畳み参道の主軸が振れている事に気づくであろう。その振れこそ前身寺院斑鳩寺の軸であり、太子が造営した斑鳩宮の軸なのである。 門は8世紀に造られ、当初は南向きに南大...
法隆寺を支えた宮大工の郷と国宝藤ノ木古墳72020.04.25 12:57御坊山古墳群―太子一族上宮王家の墳墓の地 竜田御坊山古墳群は、藤ノ木古墳から谷を隔てた西約250mにあたる。〝御坊山は御廟山〟の転訛と思われ、現在は大半が早くに錦ケ丘住宅開発で尾根・谷諸共消滅している。古墳3基の址と甲塚がある。 7世紀の半ばを下らない7世紀前半の築造である事、多...
法隆寺を支えた宮大工の郷と国宝藤ノ木古墳62020.04.25 12:45国史跡藤ノ木古墳と寶積寺址―奇跡的豪華国宝遺物出土 字藤ノ木・ミササキの藤ノ木古墳は、異様な径48m・高さ9mの巨大円墳だ。前方後円墳では有りえない。ミササキが物語るように陵寺(陵堂・墓辺寺)の「寶積寺」が幕末まで存在し、陵と伝承し大切に守られてきた(「寶積寺境内図」寶永6年・「...
法隆寺を支えた宮大工の郷と国宝藤ノ木古墳52020.04.25 12:27西里春日古墳―最近話題の古墳 法隆寺大工鑑札を預かった安田家の春日社と称する屋敷神を南面に祀る塚である。径30m・高さ6mの円墳と考えられ、藤ノ木古墳の立地する寺山より延びる小丘と谷を隔てる東の小丘の西に位置する。 藤ノ木古墳と近しい関係にある6世紀後半~7世紀初めの古墳として注...
法隆寺を支えた宮大工の郷と国宝藤ノ木古墳42020.04.25 12:13ウォーナー塔と平子鐸嶺塔―法隆寺が顕彰した人物 峯薬師坊の東門と里道を挟んで、両塔は西方院山に人知れず建つ。向かって右の鐸嶺供養塔は、法隆寺をこよなく愛した平子鐸嶺(ひらこたくれい・本名「尚」ひさし・明治10年三重県安濃郡津生まれ)は、佛教史・日本美術史に専念した明治の美術史家(...
法隆寺を支えた宮大工の郷と国宝藤ノ木古墳32020.04.25 11:55舟塚古墳とヒヅメ金塚古墳―法隆寺山内でも埴輪出土 並松字小物の現町営法隆寺観光駐車場内の人知れずある、径10m程の植え込みが由緒正しき「舟塚古墳」である。『大和名所図會』には、「舟塚は駒塚の西にあり、旧記に見えず。楠の舟地底にありしといふ」とある。また〝石の長持が埋めてあり、草木...
法隆寺を支えた宮大工の郷と国宝藤ノ木古墳22020.04.25 10:31法隆寺大工と番匠の里―世界遺産をつくった〝中井正清大和守〟 法隆寺に隣接する字西里(にっさと)・字東里(ひがっさと)集落は代々法隆寺を支えた〝鵤番匠〟とか〝法隆寺大工〟と呼ばれた番匠の里(元文2(1737)年記録では、大工棟梁11名・仕手大工35名とその他杣職人・木挽職人多数)。...
法隆寺を支えた宮大工の郷と国宝藤ノ木古墳12020.04.25 10:09最後の法隆寺大工西岡常一―唯一の名誉町民 〝最後の法隆寺大工〟西岡常一(にしおかつねかず・明治41~平成7年)は、法隆寺村西里の大工の長子として出生。鵤番匠の伝統を受け継ぎ幕末から法隆寺に仕えた一つが西岡家で、幼少の頃から祖父(伊平常吉)に師事し、宮大工の伝統技術を学ぶ。 昭和9...
天下七本槍〝片桐東市正且元〟居城と古の龍田142020.04.25 09:56熊谷千層と念仏橋の歌碑-竜田川公園の雅橋 竜田川左岸念仏橋袂にある全く忘れられた句碑は「龍田山見て年月を田草取」と刻まれ、〝熊谷千層(くまがいせんそう)〟の歌で昭和14年に建てられている。また〝竜田山あたゝかなに紅葉ちらしけり〟があり、ここで云う龍田山は斑鳩立田山を詠っている。〝...
天下七本槍〝片桐東市正且元〟居城と古の龍田132020.04.25 09:41龍田大橋と冠松―龍田城大手・龍田神幸御旅所 勢野の丘陵に続く神南山から西ノ山・峨瀬の山並は、「坂門郷丘一地」(法隆寺領の西の限り)と言う記載で古く『法隆寺流記資財帳』に見えるが、住宅開発で往古の面影は微塵もない。龍田大橋から西ノ山へ向かう奈良街道の坂道を〝椎坂(しいさか)〟と称し...
天下七本槍〝片桐東市正且元〟居城と古の龍田122020.04.25 09:28龍田宿町場三つの坂―猫坂と加護(駕籠)屋坂と丹後坂 町場の入り口龍田大橋から鉤形に奈良街道が折れる坂が「猫坂」、猫の背の様に人も背を丸めて登っていく坂である(龍田城の普請割りの一つ)。町場は、矢田丘陵よりの南北の尾根を切り開いて谷を造成しているので起伏があるが、起伏を下がる坂を「...
天下七本槍〝片桐東市正且元〟居城と古の龍田112020.04.24 23:48龍田町場―龍田城総構えの市場町から奈良街道宿場町へ発展と衰退 『歴史的町並み報告書』を作成しながら、「斑鳩町歴史的風致維持向上計画」にも策定されず日に日に建物が解体され、僅かに残る重層な近世旧商家の面影を残すのが「龍田町場」。龍田の地は、小泉を経て郡山・奈良に通じ、亀ノ瀬越え・十...