舟塚古墳とヒヅメ金塚古墳―
法隆寺山内でも埴輪出土
並松字小物の現町営法隆寺観光駐車場内の人知れずある、径10m程の植え込みが由緒正しき「舟塚古墳」である。『大和名所図會』には、「舟塚は駒塚の西にあり、旧記に見えず。楠の舟地底にありしといふ」とある。また〝石の長持が埋めてあり、草木や石に触ると腹痛が起こる、死ぬ〟と伝承する。箱式木棺或は石棺が一部露出していたのであろう。以前は〝稲荷大明神を祀っていた〟らしい。
南大門南東230mに位置する字ヒヅメには、『大和国古墳墓取調書』(明治28年)記載の一辺10m程の「ヒヅメ金塚古墳」が発掘調査で確認され、朝顔・蓋形埴輪が出土している。昭和50年頃までは高まりが現存していた様だ。
並松の奈良街道と国道25号との間の路地住宅に囲まれて墳丘を残す「亀塚」と称する塚も現存する。また、山内の防災関連調査でも埴輪の出土を伝え、法隆寺造営以前の丘尾に存在した5世紀後半期の埋没古墳群が指摘でき、一つの初期群集墳のまとまりを考える事が出来る。文献:「法隆寺境内出土の埴輪と周辺古墳」『法隆寺発掘調査概報Ⅱ』1983
【freelance鵤書林192 いっこうA3記】
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