最後の法隆寺大工西岡常一―
唯一の名誉町民
〝最後の法隆寺大工〟西岡常一(にしおかつねかず・明治41~平成7年)は、法隆寺村西里の大工の長子として出生。鵤番匠の伝統を受け継ぎ幕末から法隆寺に仕えた一つが西岡家で、幼少の頃から祖父(伊平常吉)に師事し、宮大工の伝統技術を学ぶ。
昭和9年から始まった法隆寺国家事業・県事業「昭和大修理」の棟梁を父楢光・弟楢二郎と共に勤めた他、法輪寺三重塔・薬師寺金堂や西塔などの再建・修理に宮大工棟梁として取り組む。古代大工道具「ヤリガンナ」を復原し、技能の保存技術伝承や後進の指導に力を尽くす。昭和49年父子で吉川英治文化賞、平成4年文化功労者表彰、翌年斑鳩町名誉町民。
口伝の格言として、〝堂塔の木組みは木の癖組、木の癖組は工人等の心組、工人等の心組は匠長が工人等への思いやり〟がある。iセンター二階に道具類の展示と、宮大工の世界の紹介コーナーがある(無休・入館無料)。文献:「特集宮大工棟梁西岡常一氏を偲ぶ」『薬師寺』№105 1995・山崎祐次『西岡常一の遺言』2008・西岡常一『木に学べ-法隆寺・薬師寺の美-』2003・同『宮大工棟梁・西岡常一「口伝」の重み』2008
【freelance鵤書林190 いっこうA1記】
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