名刹松尾山松尾寺―
日本最古の厄除霊場
矢田丘陵の標高315m松尾山(大和郡山市)の山頂東斜面に伽藍を展開するのが、真言宗醍醐派の松尾山松尾寺。富郷・片桐方面から中腹に見える赤と黄色の吹き流しが目印である。大和河内では「まつのおさん」と愛称し、近世近代と法隆寺の奥ノ院としての位置づけであった。
養老2(718)年天武帝皇子・〝舎人親王創建〟にかかると「松尾寺縁起」は伝える。親王は、皇太子時代の聖武帝(首皇子)を補佐し『日本書紀』編纂中、厄年であった親王に観音菩薩が降臨したと云う。よって〝日本最古の厄除霊場〟となっており、大和・河内始め近在の厄年には参る霊験な厄除け寺である。
東を向いた本堂には、秘仏の本尊「千手千眼観世音菩薩」が祀られ、後戸の近くに舎人親王の肖像が安置されている(東明寺の舎人親王創建といい、矢田丘陵には伝承が集まっている。塔の右下には、観音と磐座を結び付ける〝神霊石〟と呼ぶ巨石があり、ここに降臨したのであろう)。
中世から近世には修験の拠点寺としても機能し、三重塔・行者堂・七福神堂・鐘楼・十三重石塔があり、山の頂付近には水神松尾神社が祀れている(発掘調査で奈良期の瓦や建物址を発見し、堂の存在が認められる)。
行者堂には、日本最大と云う役行者像安置され、母もその隣に座っている。七福神堂は最近まで大黒堂と呼ばれ〝福徳開運松尾大黒天 商売繁盛松尾聖天〟で、古式の大黒様と厨子内においでになる聖天様も霊験あらたかで必ずお詣りしたい。
南総門脇の「宝蔵殿」には、昭和28年の本堂解体修理の際、天井裏から見つかった〝顔も手足も無い焼けて真っ黒になったトルソー(胴だけ彫刻)〟と命名した佛を白州正子は昭和50年『十一面観音巡礼』で絶賛している。「頭も、手も失われ、全身真黒焦げに焼けただれているが、すらりと立ったこのトルソーは、いかにも美しい。(略)ふと私は、曙光の空にほのぼのと立つ観音の幻をみたように思った」と。
創建された本堂と本尊は、山頂近くから今の中腹に降り、建治3(1277)年に焼け、その後現本堂と本尊が再興されたものと考えられ、創建時の本尊であろうと視られている。
大祭日は、午の日で2月の初午・二の午・三の午、3月の旧暦初午・二の午の厄除け大祭に蟻の行列の如く賑わったのも遠い昔の事となった。また松尾寺祈念「厄除け花簪かんざし」売りは大層名物であったが、平成の世になり消えた。
寺境内・神社からは大和平野を一望し、近年は80種500株の薔薇が庭園で楽しむことも出来る(無料)。文献:松岡秀道編『大和松尾寺の歴史と文化』1977、『松尾寺』奈良県文化財調査報告第53集 1987
【freelance鵤書林231 いっこうJ1記】
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