極楽寺佛堂の仏塚古墳
仏塚古墳は極楽寺墓地の南、松尾寺参道を挟んだ向かいの水田中の尾根先端〝山寄立地〟にある段築を認める一辺23mの方墳。昭和51年初版『斑鳩の古墳』の企画に乗じて石室が奈良県立橿原考古学研究所により発掘調査された。古墳は、6世紀末~7世紀の築造と考えられる主体部の全長9.4mを測る両袖式横穴式石室を有する独立墳である。床面には、礫床下玄室に環状に巡る排水溝を備える。石室からは亀甲形の陶棺片・須恵器・馬具・耳環などが出土し、被葬者は膳氏関連の墳墓の可能性がある。聖徳太子は築造の姿も誰の墓かも御存じだったはずだ。
古墳時代の遺跡と言うより再利用された14~16世紀にかけての燈明具の土師皿400枚、六器として使用の瓦器碗、瓦質香炉・花瓶、瀬戸花瓶、碗、塑像片と小金銅佛(9.5㎝)の佛教法具関連遺物が多く出土している。
中世後期から近世にかけて極楽寺の佛堂・骨堂的性格をおびた施設だったのだろうと考えられる(この事をGuidebookには、聖僧侶によって布教活動が行われたなどと記すのは誤り)。文献:河上邦彦・関川尚功『斑鳩仏塚古墳』1977
【freelance鵤書林224 いっこうH1記】
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