法隆寺の〝から風呂〟―
薬師湯址
日本人の〝入浴好き・風呂好き〟は今日有名な話だが、昭和40年代まで多くの上方の人々は毎日では無い五右衛門風呂の内風呂の貰い風呂或借家人は銭湯に通っていたものだ。
近世になって湯を張って体を浸す入浴が定着して来るのであって、古来現代の様な入り方では無かった。東大寺や興福寺、法隆寺にも〝浴室〟と呼ばれる堂宇(非公開)が残されているが、中世後期まで専ら巨大な釜に湯を沸かして蒸気を送る〝蒸し風呂〟だ。
法華寺には光明皇后の「千人施浴発願」『元享釈書』に因んだ〝から風呂〟があり、重要有形文化財に指定されている(6月の体験日以外非公開)。施湯の風習は、大和周辺の西大寺系律宗寺院各所に残る民俗考古遺物の〝石船〟からも中世期のあり様が想像できる。
西里の梵天山の中腹に庶民信仰西円堂薬師如来縁の「から(空)風呂」と呼ばれた〝薬師湯〟があった。今は廃屋化し見る影もないが昭和40年頃まで、法華寺のから風呂同様近在の人々が体を癒す施設である(現代版施湯施設は薬湯・霊山寺が営む「薬師湯殿」がある)。月3回開設された心まで温まる懐かしい写真が残されている。内部は更衣室と釜風呂と称する室内サウナの構造で床は蓆敷きであったらしい。
から風呂は、古くは五丁町や小泉にも存在したと言う。また五百井福安寺に記録される風呂屋が注視される。文献:岩波写真文庫73『いかるがの里』1950
【freelance鵤書林222 いっこうG2記】
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