松山鹿鳴園は、松山志良(年譜不詳)が転害門近くで昭和初期に開いた写真画材の店。薬品調合名手としても知られ、入江泰吉などは特別配合現像液を調達したと言う。自らも法隆寺や東大寺の仏像を撮影し、松山調の黒バック写真は土産仏像写真葉書にあり、戦後寺社のカラー絵葉書・萬葉植物園写真に「国際観光絵はがき協会会員」としての発行を認める(清水公俊・写真松山志良(1945)『東大寺』)。會津八一は、松山の写真も好んで応援し交流があったらしいが、文化人サロンを好きとせず独歩の写真家であった様だ。子息紀巳男・孫政弘氏は東大寺上堂参道鐘楼の丘で名物カレーの茶屋を営み、八一揮毫の縦長の扁額と暖簾がかかる(10時~16時半・不定休 ☎0742-22-6137)。
尚、万葉の萩の歌で登場するのに鹿が多いことで、萩は「鹿鳴草」と称するのだそうだ。會津八一は、戦後自分の肖像写真を撮った入江泰吉(いりえたいきち1905~1992)や土門拳(どもんけん1909~1990)と、新潟に疎開し、日本海沿岸農村・漁村の風土と生きる人々のくらしを追った写真家濱谷浩(はまやひろし1915~1999)を応援したと言う。
【freelance鵤書林51 いっこう記】
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