朝護孫子寺の塔頭大本山寺院(いっこう寺社解説24)

―大和の現世利益のお寺2

 信貴山朝護孫子寺へは、近世期から近代には大坂側から京街道教興寺から分岐の〝大坂参道〟と奈良街道柏原市村から分岐の〝大阪堺参道〟、大和側は奈良街道勢野から分岐の〝大和参道〟と當麻街道大田口追分よりの〝大和南参道〟の丁石道が整備されていたが、知る人も皆無になりつつある。それらの参拝客を運ぶ為に大正期に至って敷設された大和側鐡路が、信貴生駒電鐵王寺-山下駅・信貴東ケーブルと大阪側が、参宮急行電鐡信貴線・西ケーブル信貴山口-高安山駅・高安山-信貴山門駅の山上を走った信貴山急行電鐡であった。北の生駒聖天に対する南の信貴山毘沙門天として多くの信徒が押し寄せ、門前町が形成され賑わったのも一昔前の出来事となり、車社会の到来と共に、山上鐡道も東ケーブルも廃線になって長い年月が経過した。

 大本山千手院は、一山では最も古く由緒ある寺らしい。境内の「護摩堂」は、命蓮上人によって開かれ、それ以来、毎朝欠かさず護摩を修めていると云う。祈祷が在る毎に山内に太鼓が響きわたり、〝護摩の千手院〟と呼ばれる事も。護摩の炎によって諸々の災難が焚き尽くされ心願が成就し、〝運気上昇〟と篤く信仰される。その心願成就する真言密教最高の秘法・護摩祈祷(毎朝6時~)へは誰でも参拝出来る(執事古屋弘規師)。

 また、千手院ワールドが展開している。〝金運如意銭亀善神〟を祀り、縁結び・厄除け観音堂貧乏神除社とする。三寅の胎内くぐり・金運の銭臼、大黒堂・甘露庵もある。千手院護符として、〝毘沙門天王護摩供札〟の他に正月の〝招福立春大吉札〟と〝西南十二月十二日札〟(西南→東南・盗難除け札/12月12日は天下大泥棒石川五右衛門の命日・大和ではこの札を侵入者に見える様に天井裏に逆さにして貼ったもの)が名物と言える。

 参道にある室町期の〝板碑十三体佛〟は命蓮塚(墓地・墓地南にも高僧墓or経塚あり)で発見された最古の十三体石仏龕と共に西大和~河内にかけての十三佛信仰を考える上に興味深い。

 大本山成就院は、多宝塔形の「融通殿」に88代後嵯峨帝(1220-72・在位1242-46)の念持佛であった如意宝珠が祀られている。別名を〝如意融通宝生尊〟と呼び、良縁や人徳、金運などあらゆるお願いを融通してくれる有難い佛。「災転招福大黒天」は災を福に転じ、特に〝縁結びと財運〟があるとされている。希み、願う、叶う……〝融通瓢箪〟などの授与品は融通殿内にて希願する(筆頭役僧森田龍寶師)。

 大本山玉蔵院については、前稿「現世利益の寺1」で記載したので省略する。「浴油堂」で毎朝5時(冬季5時半)から護摩祈祷が修祓されいおり、縁結び観音に直接触れ、縁結び祈願〝良縁成就〟をすることが出来る(執事西浦寛孝師)。玉蔵院が管理する茶室「古厘庵」に無記名の春日燈籠・丸竿燈籠に混じって〝文化一甲子年二月 永代常夜灯宿坊玉蔵院〟八幡燈籠が持ち込まれていることも記録しておこう。

 参考献酒の銘柄「信貴」は、「王寺谷酒造」醸造として西大和で知られていたが廃業に伴い、現在は奈良高畑の「八木酒造」(八木威樹社長、真鶴・八木政宗・升平、月ヶ瀬梅酒で売り出し中)が名を譲り受け製造する。

 信貴山は暖寒植物帯の混生地として、また昆虫の種類の多いことからも名高い事も付け加える。

【freelance鵤書林248 2020/6/16いっこう記】

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