聖徳太子の隠れ聖蹟といかるがの里I-1

鳥片(とりかた)辻堂址と板碑の椿地蔵

 田圃の片隅に有るのが〝椿地蔵と称する石造物中世期の巌佛(箱佛)他の無縁墓石19体である。「辻堂」とは村の辻或は村はずれの〝辻〟に設けられたお堂のことである。

 「鳥片辻堂」は現在地より北西の辻にあった様で昭和末期の道路拡幅折り、石造物は現在地に移されたらしい。そこに祀られていた西大和最大級の中世後期の「板碑」が人知れず佇むのみである。

 今は単に地蔵と呼ばれるが単なる地蔵では無く梵字の刻んだ逆修・先亡供養を目的とした、希少な〝念佛板碑〟であり、指定文化財級の物件(逆修とは生前供養の事。板碑は中世石塔の一種で「石卒塔婆」:板石塔婆。近世後期に文人達が板状石碑:「板碑」と命名した事による関東流の供養塔である)。

 台石上に臍を切って閃緑花崗岩扁平自然石を乗せ、舟形に繰り抜いた碑面に「地蔵大菩薩」の名号上に蓮華宝珠に地蔵の種子「カ」を刻む。総高は1.53m幅0.95m厚さ0.3mで紀年銘左右の銘文は未確認(要拓本調査)。

 真言系の念仏聖が広めた六斎日に斎戒謹慎して念仏を唱える六斎念仏結衆を示す石造物が、大和西部金剛・生駒山地の東麓に分布が集中することが指摘されている。椿地蔵のこれは民衆化した村落共同体の念仏衆の遺品と考えられるものである。ここに紙上初めて紹介する。

 辻堂は、近世の「法隆寺村差出帳」によれば、五丁町の公民館横の地蔵堂「豆生(まめぶ)辻堂」・並松馬場入口右手、つるつる石地蔵の「並松辻堂」(現地蔵堂)の3箇所に辻堂記載がある。

【freelance鵤書林228 いっこうI1記】

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