聖徳太子の隠れ聖蹟といかるがの里F-1

大黒屋旅館と斑鳩物語―

街道筋3軒の名物旅館・最近話題の〝茶室待清庵〟

 字芝の口には3軒の旅館があった。〝大黒屋〟と〝加世屋〟と〝三日月屋〟である。

 明治10年創業の大黒屋で高浜虚子が明治40年書いたのが、法起寺の若僧了然と女中お道の恋愛ものがたり、短編小説の『斑鳩物語』である。書き出しは「法隆寺の夢殿の南門の前に宿屋が三軒ほど固まってある。其の中の一軒の大黒屋といふうちに車屋は梶棒を下した。急がしげに奥から走って出たのは一七八の娘であるで始まる

 駐車場地点の旧地の大黒屋は文人墨客の宿と称して名を馳せ木造2階建てに鯱の上げる展望閣のある楼閣は名物旅館であった。宿帳には、高浜虚子芥川龍之介木下利玄志賀直哉里見弴堀辰雄速水御舟北村西望などの記帳がある。3軒とも今は廃業。

 福井小路にあるのが最近売り出し中の蒲邸一服処茶室待清庵(たいせいあん)」である(〝福井〟は〝福居〟の転訛と考えられマダラバトが宿った、ヨノミの大木があったと言う処)。待清庵は文化文政期、法隆寺大僧都〝覚賢(かくけん・明和1年生まれ。柳沢中納言隆光後見人・文化9年勅許大僧都・雅号が待清」)〟が「善住院に建てた茶室(移住した「寶珠院」にも同名茶室あり)。

 僧実乗(本名樋口正輔)が後を継いだが明治3年に還俗し、土塀を隔てた現在地に屋敷を構え、茶室を移築したもの。その後信徒総代などを務めたらしい。茶室の門戸と扁額は天保8年の鶴峯禅師93歳の書と覚賢75歳の彫刻。

 【freelance鵤書林217 いっこうF1記】

 お客様の時間・テーマに合わせた、ほんまもんプランのご提供ご案内いたします!〝観る 学ぶ 食べる 癒される〟ほんまもんガイド!

0コメント

  • 1000 / 1000