聖徳太子の隠れ聖蹟といかるがの里E-5

北庄春日神社・仙光寺―

唯一宮座の残る社・龍田大明神の仙人住む寺

 北庄(きたしょ・きたんしょう)「春日神社」は、本来春日神五社 (鹿島武甕槌命・香取経津主命・枚岡天児屋根命・比売神・若宮天押雲根命) を祀ったと思われるが、近年本殿須佐乃男之命、摂社天子八根之命・鹿島大神とされている。斑鳩で唯一宮座組織(中世以来の特定氏子の世襲組織「座衆」)が残る旧暦9月13日の龍田本宮よりの龍田渡御(遷幸)の際龍田ノ川(西ノ大川)畔の神輿休み処(御旅所)でお迎え役を務めたと言う。

 椎坂を下ったこの地は〝冠松〟(菅原道真伝説)の所で、松は、〝影向の松〟とも云った。現在でも大祭に龍田神社へ御供あげを担当する。石燈籠は延宝9年、安政2年の大坂製狛犬が確認出来る。中世的色彩をおびた社と言えるだろう。

 一方、北庄「清涼山仙光寺」は龍田本宮の神宮寺と伝え、〝太子が椎坂で明神出現に逢う時、ここに仙人住みて紫雲靉靆(しうんあいたい)として、佳香放ち光り輝いているのを見た〟とする。よって堂舎を営み仙光寺と称したと云う(「龍田大明神縁起」應永年間)。

 本尊は秘仏の重要文化財十一面観世音菩薩(藤原期)であるが、現在は融通念仏宗となり阿弥陀如来。聡聞寺と共に法隆寺末とあり、承暦年中(1077~81)に興福寺の支配する処となる(『古今目録抄』)。

 何れにしても春日社を含むこの地は、観音堂・阿弥陀院の字名があり神秘的な土地で、法隆寺領から興福寺領に組み入れられる様子を端的に示す例と言えるだろう。

【freelance鵤書林216 いっこうE5記】

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