聖徳太子の隠れ聖蹟といかるがの里E-3

鹿喰塚と犬喰塚―

太子伝説の塚

 猫坂の北裏通りの民家に囲まれて径15m・高さ4mの塚がある。頂部に昭和初期に管長佐伯定胤が揮毫したと思われる「鹿塚」の碑文が建てられている。「犬塚」も人家の庭に南北に相対してあったと伝承されるが、壊されて影も形も無いと熊谷千層は記す(「伝説の斑鳩」『夢殿』3)。

 『聖徳太子伝暦』に見る鹿喰塚は、太子伝説を持つ塚である。「太子43歳の折、舎人の犬が鹿の脛を何度も喰い折る事があった。この鹿と犬は過去の宿業で、鹿は正妻・犬は側室で正妻が側室の子の足を折った事の宿縁(因縁)による」とする。この鹿の菩提を弔う為に塚を造り・建立したのが椎坂峠を越えた龍田道沿いにあった〝施鹿薗寺(平隆寺)〟という(四天王寺式伽藍配置・飛鳥期中宮寺所用瓦出土)。文献:『平隆寺』奈良県史蹟名勝天然記念物報告第47冊1984

【freelance鵤書林211 いっこうE3記】

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