〝因幡宮〟伝承のいなばの里―
大字稲葉車瀬と塩田川
〝車瀬集落〟は〝塩田川〟と呼ばれた東流竜田川の岸にあった集落が龍田城築城に際しての移転集落のようだ。塩田川左岸に堂・屋敷の字名が多く見いだせる。
〝因幡宮〟は、〝字増福寺〟地点が称徳帝行幸にあたって當麻道を南下し、神南~久度を越えた折り稲葉滞在した宮址(「因幡行宮」)と伝える。『続日本紀』「天平神護1(765)閏10月条」にも見える〝紀伊国から和泉国を経て、河内国弓削宮に止宿、是日還って因幡宮に至る〟「立わかれいなはの里に長居して さやはちきらし待そわひしき」と。その址は調査・発見されていない。
【freelance鵤書林180 いっこうB5記】
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