日本一美しい民家大和棟―
ブルーノ・タウトが絶賛
戦前ナチスの迫害を逃れて来日、日本の東洋建築に開眼した独逸人名建築家ブルーノ・タウト(明治13~昭和13年・桂離宮・修学院離宮・伊勢神宮・飛騨合掌造りなどを世界に紹介)が絶賛したのが高塀造と称される民家(庶民家屋)〝大和棟〟。我が国で最初に切妻茅葺家屋に瓦葺き釜屋部分を落ち棟形式に合体し、煙出しの小屋を乗せ・瓦葺きの軒と棟降りを取り付け、商家から取り入れた卯建(うだつ)・鳩の鳥衾(斑鳩の表象『今昔物語集』説話)を上げ商家格子を採用する。壁は白壁で塗り込める、大和一圏で多く見かけた民家である。17世紀末に富の表象として国中東西大和で発生し、19世紀前半にかけ周辺部にステイタスとして取り入れられたタウトが言う非対象美の建築であった。
町内では、国中型B類・C類が阿波で2軒・高安で3軒・興留で1軒・西里1軒・服部で2軒・神南で1軒ほどが残存している。高安・興留や神南では、長屋門・乾辰己蔵・離れ・納屋・風呂・手水屋などを伴う〝囲形屋敷〟の面影を残す。〝大和の建て倒れ〟を表象する民家形態だが、大和の誇りを失った住民意識からは消滅の日も近い。斑鳩町内で、歴史的町並みが部分的にも残っていて質の高い民家を残すのは「龍田・西里」であり、歴史的景観ポイントとなるのは、「高安・三井・目安」とされている。その他は町並みが変化している部分が多いと民家研究者が結論付けている。文献:たなかいっこう『日本一美しい民家〝大和棟〟が消える』2015
【freelance鵤書林157 いっこうZ7記】
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