會津八一の世界と斑鳩―
南京を哀願した八一は「いかるが」風景も愛す
會津八一(雅号秋艸道人・明治14~昭和31年・新潟市古町生まれ)は、東洋美術の研究者として世に知られ、早稲田大学教授として芸術学研究の基を築いた人物。伝統文化を愛し奈良・いかるがの地をたびたび訪れ、古代の佛像やその風情を歌に詠み自ら筆をとり、書に認めた。昭和8年『法隆寺法起寺法輪寺建立年代の研究』文学博士。歌集の大正13年『南京新唱』・昭和15年『鹿鳴集』・19年『山光集』・17年随筆『渾斎随筆』は南京(なんきょう:南都)の哀願世界が投影されている。現在斑鳩町内に県内21箇所22基中6基の歌碑の建立を見ている。近年まで、法隆寺再建論者の八一は、法隆寺には受け入れて貰えなかったのは皮肉なことだ。文献:たなかいっこう『最後の文人〝會津八一〟の奈良大和路』2018
【freelance鵤書林155 いっこうZ5記】
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