中宮寺と門跡寺院-
斑鳩御所
現在の中宮寺は、東500mの古代以来の寺址から16世紀半ばに移転したもので、宮家皇女を迎え浄土宗門跡寺院「斑鳩御所」となる(門跡寺院とは、皇族子女が代々住職を務める〝比丘尼御所(びくにごしょ)〟の事。大和三門跡(やまとさんもんぜき)と云われたのは圓照寺・法華寺とここ中宮寺)。現在は聖徳宗の立宗と共に昭和28年改宗。
本堂北側の入母屋の表御殿(登録有形文化財)は近世後期の建造で、格天井の御上段の間など6室から成る。昭和43年落慶の山吹花に囲まれた池に浮かぶ新本堂は高松宮妃の発願により、吉田五十八(よしだいそや・明治27~昭和49年)が設計した。
本尊は寺では真言系での名「如意輪観音」と呼ぶ、国宝中飛鳥名像「弥勒半跏思惟像(楠寄木彩色像)」である(パリ出開帳の折り亜細亜のビーナスと絶賛され、モナリザ・スフィンクスと世界三大微笑の異名を持つ。會津八一が最初に絶賛した佛でもある)。
教科書にも登場する「天寿国繍帳」は太子を偲び妃橘大郎女(たちばなのおおのいらつめ)が天寿国(極楽浄土)に往生した様子を刺繍で作らせた曼荼羅(染色工芸品)である。太子信仰の始まりとされるこの曼荼羅は、信如尼が法隆寺の綱封蔵から発見し、残决を繋ぎ合わせ模作を製作したが、江戸期にさらに繋いだ残决で全容は詳らかでない。月の中に兎・真ん中に薬壷・桂樹などが確認されるが、100の亀甲に4文字づつ由来が記された長さ2mはあったと考えられている。以前は本尊の前にガラス額に入れられ公開していたが、現在は門外不出の奈良国立博物館委託資料となっており、寺にあるのは模造品。
【freelance鵤書林160 いっこうC2記】
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