奈良大和で食されてきた〝おかいさん〟茶粥について述べておく。今日懐石風に出される高級感を放つ特産の食べ物の様に受け取られているが、日常的に食されてきたアイの食事である。今日料理に関わる人間が好き勝手な似非事を拡散しているが、ほんまもん(真実)を記録する。
全く知られていないが、茶粥(「ちゃがい」とも発音)は大和を中心として南山城・河内・紀州地域では一般に食されていたが、地域によって異なるのである。一升五合程の湯に三合の米・チャン袋を入れ沸騰して掻き回し、ゆる火で3・40分雪平鍋で炊く。大和は焙じ茶・番茶をベースにした水気が多いさらさら粥である。河内は水分の少ない番茶や緑茶のドロ粥なのである。米の節約から近世期長門や肥前など全国的に伝えられている。『河内屋可正記』に「昔南都の貧しき弥二郎始め」とあるし、東大寺修二会では練行衆が米をすくい上げた「げちゃ」と残った重湯の「ごぼ」を好みの量を配分して食す。いずれにしても大和発祥と考えてよい。
残りご飯で炊き上げるのは、「入れ粥(おかい)」で本筋の〝おかいさん〟とは違うし、茶の入れないのは「白おかい」で病人の食事。
2018年1月26~28日、奈良大立山まつりの開幕に合わせ、奈良平城宮跡で開催された第5回あったかもんグランプリにおいて、39市町村のブースから大淀町商工会番茶プロジェクト「日本一香ばしい奈良の〝夢〟茶がゆ」が特別賞を獲得した。吉野路大淀iセンターレストランときんで味わえる。
【freelance鵤書林100 いっこう記】
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