大和清酒である南都諸白は、中世期〝僧坊酒〟として興福寺大乗院末菩提山正暦寺・興福寺一乗院末中川寺に発した製法は、織豊期には河内天野山金剛寺から京伏見城下や伊丹・池田に、さらに近世樽廻船の発達に合わせ灘五郷(灘・西宮)に伝播し、近代軍隊の勃興と共に安芸西條・全国に広まる流れがあり、発祥地を巡る議論は歴史性を踏まえておらずおかしい限りだ(酒の事を寺々では「般若湯」と呼んだことも遠い昔のことだ)。
近年は市場が縮小化する中、大和の清酒は以前の様な桶売りから地酒ブームで、葛城地域の蔵元は品薄が続いている。
【freelance鵤書林101 いっこう記】
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