―瓜は野菜であり、果物であり
夏は、一年草単性花である〝瓜(うり)〟の季節である。「水桶にうなづきあふ瓜茄子(うりなすび)、与謝蕪村」タライの中でプカプカと浮頷き合う瓜と茄子。〝瓜の蔓(つる)に茄子はならぬ〟世間では瓜は平凡で、茄子は偉いと云う?。また瓜を縦(タツ)半分に切った言葉〝うりふたつ〟の日本語もある。
瓜と云っても、「白瓜(しらうり・うりぼう)」・「胡瓜(きゅうり)」・「苦瓜(にがうり・ゴーヤ)」・「冬瓜(とうがん)」・「南瓜(なんきん)」・「糸瓜(へちま)」・「瓢箪(ひょうたん)」・「干瓢(かんぴょう・夕顔)」・「西瓜(すいか)」・「甜瓜(まくわうり・まっか)」等でそれぞれグロ水田畑にて栽培を見て来た。
苦瓜は琉球・南九州地方での生産(チャンプル具材)で上方には最近の事だ。琉球料理で若い実を湯がき油炒めとする糸瓜は、ヘチマ化粧水や束子用、実を乾燥細工する瓢箪以外、一般的に青胡瓜・白胡瓜(伝統野菜半「半白胡瓜」)やブツブツの毛馬胡瓜に加え、幼少の頃は南瓜(上方ではカボチャなどと呼ばない)・白瓜・冬瓜・干瓢や夏の味覚西瓜・甜瓜がたわわに実ったもの。皆、利尿作用があり、むくみに効果のあるものばかりだ。
西瓜の生産や種採取では大和国中は、日本一を誇ったのも遠い昔の事となった。井戸や水道流水に朝から漬けて冷やしてあったのが懐かしい。
甜瓜の〝黄まっか〟(大和原産金瓜)は昭和30年代にネット系西洋メロンが出回るまで高級フルーツデザートであって、40年頃まで果物として取り扱われていて果物屋で販売されていた。品種改良ものが百花繚乱する中で絶滅に等しかったが近年大和伝統野菜に指定され、温室作りで「黄金まくわ」(黄1号)として売り出されている。交配種プリンスメロンへと変化して世の中から消えた、中子まで食した〝青まっか〟(甘露真桑瓜・味瓜カ)と云うのもあったが、40年来探し続けているがお目に欠かれないでいる。
北アフリカ中近東原産でウリ科キュウリ属のメロン亜種。東方に広まった瓜と西方に広まったメロンに分かれるが、2,000年以前から栽培されて来たと云う。唐古鍵遺跡の2世紀遺構からも種子が出土している。我が国では、美濃国真桑村(現岐阜県本巣市)の特産品で、この名があるらしい。Kalium・calciumなどのmineralを多く含み、VitaminCにも富む。
胡瓜は近年では一年中出回る、生食サラダ・酢の物・漬物・添え物と台所万能五大野菜。白胡瓜は白瓜同様、専ら塩漬け・糠漬けと酒粕に漬ける〝奈良漬〟に成る。
白瓜は通常青く、若ければが子猪の毛並みの様に縞々、完熟すると白くなるのでその名があるのだ。元々奈良漬と云えば白瓜で作るが、近頃は、西瓜にメロン・胡瓜や幼瓢箪・守口大根も登場している。
冬瓜はラグビーボール級で夏に採れても冬まで保存が利くので〝冬瓜〟と云う。果肉は薄緑透明で殆んどが水分で、今や高級和食・中華の煮付瓜である。
南瓜は〝栗南瓜〟・〝恵比寿南瓜〟や〝菊南瓜〟・〝鹿ケ谷南瓜〟と種類も多い。日本人が広めて一年中トンガ(Tonga)・メキシコ(Mexico)・ニュージーランド(New Zealand)産が出回わるが、前者の西洋種(文久3・1863年来日)と後者の日本種(天文年間・1532-55年来日)と明治初年以降入ったペホカ種があるらしい。珍しい処では夏の風物詩南瓜、スジを食した〝素麺南瓜〟なるものがあった。
〝カボチャ〟の語源は葡萄牙語のカンボジア(Cambodia)からと云い、〝南瓜〟は寄港地支那南京に由来するらしい。保存の利く野菜で生命力も強いが、二番三番成は味が無い。〝女性の好きなものの代名詞「イモ タコ 南瓜」〟はどうも落語から来たモノの様だ。
干瓢である〝夕顔〟はバスケットボールの倍の大きさにも成り、表皮と中子の間の果肉を細く手鉋で均等帯状に剥いて、藁を巻いた竿に天日に干して干瓢に仕上げるのが盆過ぎの夏風物詩であった。『枕草子』・『源氏物語』の昔から花は美しいとされて来たが、実は大き過ぎ不細工と云われた。干瓢巻きの鮨は、鮨通の決めの極み味とされるらしい。
アフリカ原産のウリ科ヒョウタン属で紀元前6,500年の縄紋貝塚からも種子の出土が確認されていると云う。江戸の百科事典『毛吹草』によると、摂津国大坂木津村が発祥の地とし、神功皇后の伝説を伝える。正徳2(1712)年に近江水口に伝わり、藩主鳥居忠英の下野国への国替えで栃木に移植したのだそうだ。現在の産地栃木県東南部(宇都宮市周辺98%)を占めるのはその為。尤も現在の市販のもの8割は、亜硫酸ガス硫黄燻蒸仕上げの中共国産輸入品である。何れにしてもcalcium・kaliumのmineralと共に食物繊維を多く含む健康食品。
堅下一光園大井農場では胡瓜・苦瓜・南瓜に加え、今年は干瓢・甜瓜の生産挑戦されている。
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