―大和の現世利益・昭和平成令和の佛教民俗の好例
生駒聖天で有名な寶山寺の遥拝所から奥の院へと続く石畳参道の〝地蔵坂道〟には多くの地蔵を中心とする供養石造物が林立し、崇敬信者・結社により建立されている。日々蝋燭・線香・賽銭を持ったお詣りも絶えない。
その中で名物となった〝重軽地蔵尊・開運地蔵尊・心正しく疑わず心の持方地蔵尊・恵心地蔵尊・延命地蔵尊・孫栄地蔵尊・火難除地蔵尊・喜寶地蔵尊・緑子地蔵尊・母子地蔵尊・子安大師水子地蔵尊〟と云ったものには人気があり、賽銭の量は半波では無い。近年は石畳道に水場2箇所・手すりが設置され、高齢者の参拝の便宜が図られた。亜細亜系外国人には新鮮に映るらしく、訪れる観光客もチラホラ見かけ、識りに賽銭5円10円貨の両替をせがんでいる。
その数・内容は実際には捉えられたことは無い様だが、日々お世話をしている上地蔵堂守が作成した「奥の院地蔵リスト(平成21.8.24)」によると275体の№があり、カウントもれ六地蔵の5体・花田家供養地蔵尊(平成17.7)・孫某水子地蔵尊・石橋平和地蔵尊(平成1.3)・杉切株址供養地蔵尊(平成19.5)の9体を加えると284体になる。その内訳は、観音22・阿弥陀2・不動明王7・龍王明神6・弁財天1・大黒天1・弘法1・祖先菩提(墓地)9の18%であり残り82%の224体は地蔵である。最近お揃いの赤い涎掛けが新調され華やかさなコントラストを蜩の鳴き声と共に醸し出している。8月24日午後には地蔵盆供養と燈火會(孟蘭盆回向)が地蔵坂道の多宝塔前で営まれる。
建立年代は古い紀念銘として享保19年があるが、鎌倉期龕佛残欠や江戸期の水神・明神などと同様供養で持ち込まれていると考えられ、昭和3年・5年・8年銘墓石も同様である。昭和33年・昭和44年銘の十八世山主縁者の地蔵を契機としたと思われ・新しい銘は平成19年である。紀念銘の確認できる228基の内その多くは昭和40年代69%と50年代14%で、高度経済成長期建立が8.3割を占める事がわかる(昭和30年代以前3%・昭和30年代6%・昭和60~平成期8%)。大半は家・先祖供養石仏である。今も建立者縁者の石仏は色花(123体43%)が活けて有り、寺が管理するのは檜葉が活けられているので区別してあるらしい(平群富貴畑花農家搬入)。これらもまた大和の昭和後期・平成・令和の佛教民俗であると云えるだろう。因みに奥の院には大半の平成期建立26体の石像が確認出来る。内訳は地蔵16・観音5・大日如来1・弁財天2・不動明王1・弘法1体であり、建立・崇敬者の願いが込められている。
【freelance鵤書林255 2020/8/10いっこう記】
0コメント