聖徳太子の聖蹟といかるがの里風景18

酒ノ免遺跡群―

斑鳩最大の複合集落遺跡

 隣接する東福寺遺跡も含めて、酒ノ免遺跡群と呼んでおこう。遺跡は、昭和53~56年に及ぶ斑鳩東小学校建設に伴う事前調査(奈良県立橿原考古学研究所実施:斑鳩町教育委員会依頼)で周知され、3~7世紀に亘る掘立柱建物群50棟程が20次に及ぶ発掘調査で検出を見ている。二間×三間が多いが四間庇もあり、床面積は30㎡前後である。中心は5・6世紀で7世紀初頭には忽然と消えると報告されているが、むしろ6~7世紀初頭との見方が有力である。

 小学校グランド西に珍しく看板が設置されているのは、行政の英断で古墳期の住居群・掘建建物群を校庭として残した為であると云う。砂場地点に住居址が埋没保存されている。その集落址の範囲は、大字法隆寺字酒ノ免・大字東福寺の東小より西・新池より東、国道より南・幼稚園より北と考えられている

 斑鳩地域遺跡の特徴は、7世紀~8世紀初頭にかけての遺構・遺物が顕著で包含層からも必ず検出されることである。聖徳太子期の集落も当然展開している。宮殿を除けばむしろこの地域以外では、今の処検出されていないと言える。文献:藤井利章『酒ノ免遺跡の研究』1986

【freelance鵤書林199 いっこうC18記】

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