櫻の名所になった三室山
標高82mの今独立の神奈備形に見える「三室山」も地名の移植で誕生した山。〝鬼取峠〟(奈良県西和医療センター前から信貴山観光道路・服部道の三室交差点の峠・戦後開削された国道25号線の龍田大橋へ下る坂を〝鬼坂〟と俗称)より続いていた丘陵尾根の先端の丘。
〝三室〟は、元々遠飛鳥(雷丘)や御所三諸(室)の地名が示す様に〝三諸〟からの転訛名(俗説では太子が斑鳩に宮を定めた時に飛鳥の神奈備になぞらえて地名を移植したとも云う。また「鳩ケ峯」とも呼んだらしい)。〝三室山〟は萬葉以来の歌枕で、『古今集』不詳歌・『後拾遺集』能因法師歌に「たつた川もみぢばながる神なびのみむろの山に時雨ふるらし」・「嵐ふくみむろの山のもみぢ葉はたつ田の川の錦なりけり」がある。
〝この三室山〟名は、『大和志』では〝神奈備山〟(「類聚名物考」の神南:カムナビ)とし、嘉永2年『竜田考』で〝三室山〟と記す事に端を発する様だ。元は〝神南山〟と呼ばれている(「経覚私要鈔」)。長禄4(1460)年10月11日条に古市春藤丸が片山弥九郎をして龍田西口の戦報告記事があり、畠山義就の先陣越智家国らが敗死、〝川鍋山(河鍋山)〟において誉田全宝・遊佐国助ら討死(「長禄寛正記」『群書類聚』所収)。〝神南〟も「かわなべ・かわなめ」と呼ばれていたと思われる。近代には〝笠町山〟と称す(『大和國町村誌集』)。〝山には三本足の不思議な蛙が住み、毎年他の蛙より一番先に鳴きだす〟という伝説がある(「かわずなく神南山に影見へて今や咲くらん山吹の花」『新古今集』)。
畑民地を買収し昭和32年竜田公園編入の際、「俗称三室山」が正式名となり、〝バイオ櫻染井吉野〟(江戸染井村植木屋が幕末に江戸彼岸櫻の雑種と大島櫻を人工交配改良園芸種:明治以後全国を席捲)が植樹されて、紅葉ならぬ〝櫻の名所〟になった。
【freelance鵤書林177 いっこうB2記】
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