天下七本槍〝片桐東市正且元〟居城と古の龍田1

竜田川と龍田の川―

銘地名の移植と縣名勝龍田公園

 現在の国土交通省管下河川課の川名「一級河川竜田川」は、奈良県北西部の生駒谷・平群谷を南流して斑鳩町神南で大和川に注ぐ全長15㎞の河川である。大正から昭和にかけての信貴生駒電鐵(本社王寺) 信貴山下駅と平群駅間秋の紅葉狩り臨時停車駅(生駒への延伸・枚方迄の計画)〝竜田川駅〟の開設、住宅地化常設駅化の中、昭和41年3月官報により、上流生駒川・中流平群川・下流龍田川と呼んでいた川全域の名を国土地理院発行地図名称「竜田川」となった(斑鳩町域の竜田川名は信貴生駒電鐵観光地以後。昭和15年の官民上げた紀元二千六百年事業で龍田町が「龍田川観光地」公園化)。

 県名勝龍田川・竜田公園(都市公園竜田川緑地)と古歌に詠まれた萬葉以来の龍(立)田川:大和川本流と龍田町場の龍田ノ川(「西ノ大川」)の名称は歴史的には異なる事を全く混同して、古代以来の流れを現河川とダブらせて、古代以来の名称など云うのは誤認甚だしい。そもそもややこしくし現竜田川(平群川)の下流を古代以来の龍田川とし世間に認知させようとしたのは嘉永2(1849)年に京にいた国学者六人部是香(むとべよしか)が都机上で著した『龍田考』に平群川下流一名塩田川を龍田川にした事から発している事なのである。

 この河川は、古代以来全域を「平群川」と呼ばれている。流れは生駒谷の北奥に発源して、生駒山地東麓・矢田丘陵西麓の水流が生駒谷を下り馬鍬瀬渓谷(まんぐわ淵)を抜けて平群谷を南流して、勢野の丘陵にぶつかり椿井にて東流して、勢野丘陵と矢田丘陵南端の峨瀬の岩瀬を通り、龍田の地で一気に流れを蛇行させて堂山の裾野から三室山の裾野、岩瀬にぶつかり東流、東流路は「塩田川」、岩瀬の御幣岩附近を「お祓川」と称されてきた。中世以降特に椿井橋から流路を大きく東に迂回する峨瀬から下流を「龍田ノ川」として龍(竜)田川と呼んだ事を確認しておきたい。現在、県名勝にも指定されている龍田川はこの部分(峨瀬から御幣岩附近まで)である。

 〝龍(竜)田川〟と楓・紅葉の関係について大変くどくなるが現代人に真実を記しておかなければなるまい。ここで注意しておかなければ成らないのは、崇神天皇・文武天皇記の龍田大明神(奉幣二二社の一、天御柱命・国御柱命、延喜式祀神は龍田比古・比売神)御幸記事などに見る、古代の龍田川(立田の川)は大和川七瀬である亀ノ瀬~磐瀬~紅葉瀬・久度瀬辺り迄をそう呼ばれたようだ(『竜田考』を嘆き整理を加えた平田篤胤没後の門人、渡邊重治(わたなべしげはる)が官幣大社龍田神社大宮司に就任して、明治7年に著した『龍田考辨』に古代以来の龍田川は廣瀬川と塩田川が合流した大和川本流より亀ノ瀬までの地点を言うのだと著している)。

 持統天皇・文武天皇・平城天皇の御歌を通じて、八稜楓に代表される紅葉の名所として天下に喧伝する事となり、平安歌人に“紅葉の龍田(歌枕)”として詠まれ、多くの和歌集に採録される事となっている。極め付けは、百人一首にも納められている在原中将こと在原業平朝臣の「千早振る神代もきかず立田川唐くれなゐに水くくるとは」『古今和歌集』と能因法師の「嵐ふく三室の山のもみぢ葉は立田の川の錦なりけり」『後拾遺和歌集』であろう。歌は遊び事の空想の世界であり現地に赴いているわけではない事を認識すべきで、歴史史料とは無縁の物である。これらの歌を現在の竜田川を指すとするのは、全くの無知誤解の産物であって、歴史的事実を無視するお伽噺話である。

 ちなみに現在の県名勝龍田川は、峨瀬附近からの蛇行流路を藩主片桐且元が、慶長6(1601)年以後元和にかけて龍田城惣構え築城に際し、人工的に大きく東に川筋を変え龍田の西にほぼ真直ぐに改修し、外堀とした。下流も御幣岩から東方に蛇行して稲葉の西辺から南流して大和川に流入していたものを現在の如く単に南流させたのである。河口は、300m西に移動し神南の南東で注ぐようになり、河口から舟入をさせるように変えられている。暴れ川の旧流路の痕跡を住宅化以前の地図や「御油田地指図・坪付」でも容易に確認できるのである。

 紅葉の名勝にしたのは、江戸期の寛政12(1800)年以後並松の国学者藤門周斎が、龍田の住人と共に中宮寺宮に謀って、増殖保護に努めてからであることも認識しなければなるまい。

 では、なぜ斑鳩の龍田ノ川が萬葉以来の“名所龍田川”に成り得たのだろうか。結論から言えば、平安後期以降・中世期、聖徳太子に対する太子信仰の高揚発展と同時に、興福寺(大和国守護職:守護不設置の大和)の大和一国支配荘園化(末寺化)が進む中で、神仏混淆は、法隆寺自己の地位を強固にする既得権拡大の為に、バーチャル世界を演出したと考えられるのである。それは、創建法隆寺「斑鳩寺」は天智帝9(670)年火災により焼失し、現西院伽藍は和銅年間(708~715)年に場所・方位を違えて再建される。さらに現東院が斑鳩宮址に天平11(739)年僧行信が太子三昧殿として建立した。天慶1(938)年には一僧侶とは言え鎮守天神社が勧請創建された。仁平3(1153)年には神明社創建・保安2(1121)年には、夢殿聖霊会が西院聖霊院に移して行われるのを契機として法隆寺が大寺化する。平安期に唐招堤寺を除いて法隆寺を南都七大寺に加える慣例が出来る。そうした聖徳太子信仰の確立完成の中で、龍田社の勧請・龍田ノ川への地名・名刹地移植が行われたと見たい。龍田神社は式内社では無いのである。さらに進んで、慶政・貞慶の王寺達磨寺の開山。建暦1(1211)年上宮王院釈迦念仏貞慶勧進。承久1(1219)舎利殿の建立『別当次第』。上宮王院修理記事。文暦1(1234)年三経院へ法相祖師曼荼羅・太子御影安置へと太子信仰の隆盛が続く。

 龍田(たった)の地名の起こりの話(降雨を願った田に雷(龍人)が落ち、旱魃が無くなり龍田と称した伝説)は別にして、龍田大明神-社(現生駒郡三郷町立野)の勧請と併せ、龍田ノ川名だけではなく、立田山・三室山の山名、毛無の丘(岡・ならしのおか)・岩(磐)瀬の瀬・杜名、三室の岸の地名総てを含んでいる。遠飛鳥の神南備山・「神南じんなん」・神岳社も同じく存在し、法隆寺・龍田社一体化が信仰の中心的存在となって「郷」が形成されている事実がある。

 興福寺と春日社との神仏混淆の現象の具現化として、春日第五殿である若宮社の大和国祭「春日若宮おん祭」であるが、祭礼に際して大和武士集団長谷川党などの祭礼禊祓(みそぎはらい・龍田垢離たったごり)場が、ここ龍田川磐瀬(御幣岩)であった事にも表出され、その後国中の村々の宮座頭役の水垢離が近代まで続いていた。現代の県名勝龍田川は、昭和33年「県立竜田公園」として朱塗りの橋が架けられ人工的な植栽整備が行われている。しかし、名勝に指定された龍田川の清流も高度経済成長期以後の生活排水の流入による水質の悪化、大規模な河川底の掘削・コンクリート護岸、風船ダムの構築で風物詩の蛍・鮎も早くに姿を消し、御幣岩をも削岩され、水没せしめた。龍田の住人が育てて来た楓数本が現存するものの、岸部の乾燥化は年々樹の枯死と紅葉すらしなくなっている。また、浅はかな智恵による雑木と人口桜染井吉野の大量植樹は、名勝竜田川を変貌させている。

 「立田山」は斑鳩では、竜田川から仰ぎ見る平群の山から相連なる矢田丘陵の南端の山を称している(昭和30年代末に平群町域の竜田川ネオポリス団地の「竜田山出土陶棺」と報告がある遺物は後期古墳の存在を示唆させる。『烏土塚古墳』奈良県史跡名勝天然記念物調査報告第27輯所収)。「三室山」は後項で記した通り。その他「奈良思(ならし)の丘(ナラシ乃岡・毛無の丘)」は東岸老松のあった塩田の森を当てている。岩瀬の峨瀬は「沖津石・白浪石」の〝八ツ岩〟があったし、「岩瀬の杜」は神南山北麓の岩瀬川が注ぐ杜、神南山岸を古歌の「三室の岸」に充てている(不詳などではない)。

〇由来記を参考までに引用して示しておく。

[龍田川の紅葉は人皇十代 崇神天皇龍田明神に行幸あらせられ年穀豊稔を祈らんため龍田川に御祓ありし時上流より殊に秀でたる八稜の楓葉浮び来り 天皇之れを取らしめ當祠に納め神寶となされ給ふ其の後 文武天皇龍田川に行幸あらせられ、流るゝ紅葉の風趣を激賞し給ひ 

立田川紅葉乱れて流るめり わたらば錦中や絶江なむ

と御製を賜はりし以来龍田川は紅葉の名所として 天下に喧傳せられ紅葉と言へば龍田川を聯想せらるゝやうになつた 持統、文武、平城の諸帝を始め平安朝時代の歌人文客は拳つて、龍田川の紅葉を詠じ勅撰集に於ける龍田川の和歌は、實に数百首に上つて一つゝゝ述べる暇はない位である。中にも百人一首の

千早振る神代もきかず立田川 唐くれなゐに水くぐるとは 在原朝臣

嵐ふく三室の山のもみぢ葉は  立田の川の錦なりけり 能因法師

などは三歳の小児も口にする名歌で、如何に龍田が古来紅葉の名所として名高かつたかと證するに餘りあるのである。然るに星移り物変り龍田川の楓樹も幾多の変遷を経、寛政年間に至り更に近隣並松の國學者藤門周斎等が龍田の人々と共に、中宮寺に謀つて大いに増殖し保護して今日に至つたのである、それで中宮寺と龍田川とは、関係も深く其後しばゝゝ宮家からも楓樹を下賜された、近くは明治二十四年 昭憲皇太后の行啓を辱ふし 有栖川宮 北白河宮家よりも幾多の楓樹の下賜を添ふした、近年龍田保勝會があつて・益々・楓樹の増殖と風致の保存とに勉めたので一層美観をなし、往時の龍田川に復し年々観楓客多く紅葉の名所として天下に冠たるに到つたのである。] 「龍田川楓樹の由来」『龍田案内1924』

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