郷社斑鳩神社―
天満宮天神社と元の法隆寺山内の鎮守社
天満山に鎮座する〝天満宮〟と称する斑鳩神社は、天慶1(938)年道真苗裔(びょうえい)と称する法隆寺〝別当湛照(たんしょう)〟によって天神(祀神菅原道真公)を勧請した天神社である(本殿・第一殿)。明治以降三箇所の山内の鎮守社が移され、法隆寺村の郷社「斑鳩神社」となる。法隆寺山内には、西院に総社神明神社(1153年・祀神天照大神・第二殿)・始め東院には五所社(祀神五柱神・五王子権現・第三殿)、西円堂薬師坊には白山権現社(祀神白比洋*神・伊弉冉尊・第四殿)があり、明治の神仏分離で、全て天満山の天満宮へ合祀された(法隆寺では神佛分離令で佛では無く神が分離移動したのだ)。
秋の祭礼には法隆寺山内(西院聖霊殿東接)に行幸する祭礼形式をとるのはその為である。その折には大字法隆寺の垣内5町(三町さんまち・五丁ごちょう・東里ひがっさと・西里にっさと・並松なんまつ)が「布団太鼓台」とススキ提灯を山車に仕立てた「ダイガク」を出して随行する(現代的からか渡御の隊列は有職故実から逸脱しているのは滑稽だが、太鼓台は明治期の古式を伝え、泥幕には無いものの欄干・天井部の彫刻は宮大工の伝統に各字の特徴を表す。例えば先頭を行く紅白布団の三町では、『曾我物語』を題材に「富士の巻き狩り」場面が統一題材である)。
社殿は近年本殿銅板葺き・二~四瓦葺という特異な社殿になっている。地主神とする「伊香流我志古男命社」は〝常楽寺恵比寿社〟と末社として境内隅に祀られているのは知る人ぞ知るである。
神社前の池は〝天満池〟であるが『法隆寺別当次第』では「猪那部池(いなべいけ・天永1年頃築堤)」と書かれている。片桐且元改修した堤から盗難の半裁五輪塔(字辻本小路廃専念寺建立)を入れた夕陽に生える五重塔風景は入江泰吉の代表作であり、ここは斑鳩の名スポットである。
【freelance鵤書林170 いっこうC12記】
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