池田末則(すえのり)氏と池田源太(げんた)氏は、混同して語られている記録もあるが、何ら血縁関係には無い個々の奈良大和で活躍した地名学博士と日本文化史博士だ。ただ時を同じくして逝去後、両人の蔵書が奈良天理市・大阪天王寺区に本部のある古書店に大量に流失した事があった。まだ、残が出店の奈良市内の古書店で見かける。
池田末則(いけだすえのり・1922~2011)は、大正11年5月15日奈良県南葛城郡に生れる(実家は大阪市東住吉区田邊東之町の大信書房・筆名は但馬五郎)。海軍航海学校卒。
昭和17年に十数名と諮り現御所市内に大和地名研究所(後日本地名学研究所・昭和31年京都伏見区移転・昭和41年から奈良市高天市東町池田自社ビル内)を創設する。全国大字地名索引・県内小字名収集に励み、昭和27年『大和地名大辞典』(奈良県文化賞)・『続大和地名大辞典』(昭和59年『合本復刻』名著普及会)を上梓。戦後の市町村史調査編纂に関わり県内6市16町11村(県内9市20町18村〔平成の現在39市町村〕)の地籍図の複写小字の調査を行う。著作『地名伝承学』に結実し、昭和56年地名研究により文学博士。25年間奈良大学非常勤講師として、〝地名伝承学〟を講じた、歴史文学者(日本ペンクラブ名誉会員)である。日本口承文芸學會員・奈良市文化財審議会委員、奈良市・橿原市住居表示審議会副会長・京都地名研究会顧問・南都大安寺信徒総代を務めた。
戦後は、県保育会・少年保護司として掖上保育園長・県社会福祉協議会に関わり、昭和23年『大和掖上村史』・昭和25年「奈良縣郷土生活文化史年表」・昭和26・27年『私たちの社会南葛城郡上・下』南葛城教育課程研究会刊・昭和30年『北部葛城郷土史(私たちの社会)』高田郷土文庫刊を執筆している。
編著は、県内市町村史の他『奈良県の地名』・『日本地名伝承論』・『校註大同類聚方』㈱平凡社、『地名伝承学』・『大和古代地名辞典』㈱五月書房、『大神神社史料全11巻』㈱吉川弘文館、『大安寺史・史料』・『奈良県史全18巻』㈱名著出版、『地名研究資料集全17巻』クレス出版(株)、『大和地名大辞典』名著普及会、『古代地名発掘』新人物往来社、『地名風土記-伝承文化の足跡-』㈱東洋書院、『NHKブックス 現代地名考』日本放送出版協会、『奈良の地名由来辞典』㈱東京堂出版、『朝日カルチャーブックス 大和の古道を行く』大阪書籍(株)など✤。平成23年7月18日逝去。
✤池田末則の全国大字地名索引は、後『日本歴史地名総索引 全三巻』㈱名著出版1980として活字化された。一連の仕事は、独学で明治末年に全国の地名を13年かけて『大日本地名辞書』全11冊1900~07(原稿の厚さ5m・日本初の古今未曾有の全国大地誌)を上梓した、吉田東伍(よしだとうご・1864~1918・新潟県蒲原郡安田町〔現阿賀野川市〕・日本歴史地理學會創始者の一人・次男吉田千秋は琵琶湖周航の歌原曲作曲者・千田稔『地名の巨人吉田東伍-大日本地名辞書の誕生-』㈱角川書店2003)歴史地理博士に及ばんとする仕事であった。その他一般書として『国鉄全駅ルーツ大辞典』・『全国河川ルーツ大辞典』・『地名の知識100』が確認される。
池田源太(いけだげんた・1899~1995)は、明治32年大分県で生れる。昭和7年京都帝国大學文学部国史専攻科卒業。西田直二郎に師事した歴史家。京都市立第一商業学校・京都府立第一中学校教諭を経て、昭和16年奈良県橿原道場橿原文庫主事。昭和19年奈良青年師範学校教授に転任し、昭和24年には奈良学芸大學(後奈良教育大學)教授に就任。その間龍谷大学非常勤講師。昭和36年「歴史の始源と口誦伝承」で京都大学より文学博士。昭和38年定年退官、名誉教授の後、龍谷大學教授を務め、橿原考古学研究所の研究員でもあったようだ。
蔵書資料を〝友山文庫〟と称し、〝人間生態学談話会〟を組織した。平成7年11月逝去。池田源太は中野文彦と共に生涯池田末則の私設研究所〝日本地名学研究所〟顧問の立場にあった。歌集『雲のはたえ』を残している。
編著は、昭和31年『歴史の始源と口誦伝承』綜芸社、昭和38年『伝承文化論攷』㈱角川書店、昭和40年『大和の土地と人』・『歴史と大和の風物』・『大和とその周辺』・『大和の南北』奈良文化選書 友山文庫、昭和47年『大和三山』・昭和50年『大和文化財散歩』・昭和54年『古代日本民俗文化論考』㈱学生社、昭和52年『奈良・平安時代の文化と宗教』永田文昌堂、昭和54年『大和叢攷』・昭和57年『古文化随考-歴史と人間-』豊住書店、昭和58年『三輪明神への接近』大神神社、平成元年『奈良県史5巻・神社』(共)㈱名著出版がある。
【freelance鵤書林142 いっこう記】
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