10/第二日曜 吉野小川村の小川祭(おがわさい)と日本最後の狼(おおかみ)

 小川祭:吉野郡旧小川村(現東吉野村の一部)の小川祭は御社形太鼓台祭・喧嘩祭りの異名を取ったとして人知れず有名である。何故〝都市型祭礼〟の山車が吉野の奥にあるのかと当初は疑問であったが、丹生川上神社再興(森口奈良吉の丹生川上社探索研究)と無関係でないことが分かり判然とした。すでに官幣社格を得た二社に遅れて大正2年「丹生川上中社」として官幣に復興され、氏子8ケ大字(木津川・小・中黒・小来栖・三尾・狭戸・大豆生・小川)の10/16大祭祭礼の神賑(日露戦役以後政策)である。大祭は平成になり16日に近い日曜日に移り今日第二日曜日に固定されるに至った。当日は午前中に祭典があり、小学生女児巫女による神楽水の舞“田をかくと申さば降らせ、田を刈ると申さば晴よ丹生の大神-”が奉納される。午後、各大字から担ぎ出された重さ1tの八連の太鼓台を社に宮入り奉昇(ほうよ)する形をとる。奉納が終わると境内で掻き合わせがあり、一通りの掻き合わせの後餅撒きが行われ御開きとなる、実にシンプルな太鼓台祭りである(もっぱら近年は、昭和期1/4の過疎・少子高齢化の担き手不足、質素化等軽貨物車で社まで運び担い棒を取り付け、終われば解体し村まで運ばれ境内のみの行事である)。化粧した4名以上の男稚児を乗児にして太鼓を叩く形。担ぎ手は今趨勢の法被では無しに晴着の長ジバン姿(切り込んで太鼓ジバンにした大字もある)は往古の伝統を誇示している。街衆の財力では無しに、林業の経済力がもたらした近代山車祭礼として、太鼓台彫刻の意匠芸術(宮大工関与)と共に我が国伝統が改変を免れ伝承しているものである。尚太鼓台は御社形で、屋根・欄間には水の象徴登下龍などの彫刻があるが、高欄・泥幕は簡素で施していない。

 ニホンオオカミ:小川村鷲家口で明治38年に捕らえられたのが我が国最後のニホンオオカミの記録といい、現地に等身大のブロンズ像が建てられている。村は捕獲後110年を記念して“オオカミ絵本コンクール”を村興しとして開催、3点を出版・朗読会を実施している。この狼は英国ロンドンの自然史博物館に動物学上重要な標本(採集地ニホン・ホンド・ワシカグチ)となっている。狼は食物連鎖の頂点に立つもので、古代では恐ろしい動物として神聖視され、人は「真神」という言葉を使い枕詞に狼の大きな口をイメージした「大口の」と詠んだらしい。そう言えば飛鳥などに「真神が原」の地名がある事を思えば狼が住む様な特別な原(野)があったとも考えられる。

※日本にはかつて、ニホンオオカミとエゾオオカミが生息していて、本州・四国・九州に分布していた日本狼は、前脚が短く体が小さいのを特徴とし独立した固有種だと考えられてきた。近年残された6体のDNAの研究が進んだ結果、固有種では無くタイリクオオカミの亜種だと結論付けられ、約9~12.5万年前に枝分かれしたとの説が有力。現存する剥製は国内には、国立科学博物館・東京大學大学院農学生命科学研究科・和歌山県立自然史博物館にあり、蝦夷狼は北海道大學植物園が2体保管。幕末シーボルトが大坂で購入した剥製は阿蘭陀ライデン国立自然史博物館が所蔵する。

【freelance鵤書林8 いっこう記】

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