奈良大和路のお菓子の事

 スローフードである菓子は古代では「果子(くだもの)」と呼び木の実などの副食品のことを指し、奈良朝に穀物を加工した嗜好品を作る製法が伝来し、「唐菓子」と呼ばれたと言う。うるち米・小麦・飴で作る団子や煎餅である。

 中世期禅宗と共に「点心」が伝わり羊羹や饅頭が流布し、織豊期南蛮文化との遭遇が、カステイラ・ボーロ・ビスカウト・金平糖に代表される「南蛮菓子」が食された。

 茶道の興隆と共に「和の菓子」の技が発達し、文化の庶民化の進んだ近世後期以後商品化を見るが、庶民は年中行事に合わせ「トッキョリ:晴」に餅を搗き其々の季節菓子を嗜好してきた。その原点は大和であり「はじまりの奈良」なのである。

 かんごうさんの漢國神社摂社林神社(奈良市漢国町2番地)が、饅頭の製法を我が国に伝えた林浄因と日本菓子の祖、田道間守(たじまもり・『紀-垂仁記』非時香菓(ときじくのかぐのこのみ・橘)を求められ仙境に赴く記事云々)を祀っている。

 彼らを祈念して毎年4月19日菓業界による「饅頭まつり」が盛大に執行され、スイーツ・菓子の発祥地奈良大和の地に全国の菓子奉納と菓子関係者の参拝を見る。しかし、同じ古都と呼ばれる京都には数えきれない程銘菓があるのに、奈良には不思議なほど無い。

 地理的条件にもよるが私が実施した過去の調査でも明らかな様に、名産品も少ないと言うことができる。近年は、昭和末期以後飛躍的に発達した洋菓子も含めスイーツと呼ばれるお菓子が賑やかであるのに、それはなぜなのであろうか。再認識した事は、県外の全国画一化した菓子会社の駄菓子化と同じ商品を扱う大阪菓子千鳥屋や京菓子寛永堂などの如く改名してまでの店舗進出、県内菓子司の会社組織に成長した奈良への進出チェーン店舗化が大きく影響している様である。

 まだ大和の町・街村には名産品を扱う個人店が生き残っているのは、物語性がある歴史的な菓子と観光客向けの門前で愛されてきた晴の時に食した餅商品類のみである。例えば、干菓子「落雁」の享保年間有栖川宮幟仁親王考案銘菓「青丹よし」や春日三笠山ゆかりの「三笠」(全国に流布の「どら焼き」)、東大寺「修二会椿花」・「似非羽二重餅・葛餅・蕨餅」に見られる如く、奈良のほとんどの店で模倣ものが流通し、本家・元祖争いまで存在する。地の「蓬餅・黄粉団子」の類はまだしも京都の地団子「みたらし団子」も何ら物語性もなく流布し、まったく貧弱な商業合戦が繰り返されている。

 饅頭・餅・煎餅・クッキー類の土産物は数社業者の独壇場で、道の駅に関しては観光物産製造卸独占企業の直売所の如く名を変えた商品が溢れ(或はのみ)、S.A.は大阪土産商品が六割・京都土産商品が二割を占めている。地産の商品や名産品はゼロか数える程しか存在しない。この傾向は門前土産物店とて変わりない。

 今求められるのは、一に話題性、二にアイデアである「しかけ」、三にご当地性というべき地域性を重んじた智恵ある新商品が必要である。今後は第三者的立場で、知識智恵袋を持ち大和の食をプロデュウスする独自の機関が品質保証制度を導入した「認定マーク・ブランドマーク」と「商標登録によるブランド管理」が不可欠であろう。

 商品認定制度の確立には生産販売と宣伝媒体との整理が必要となり、ロゴの発行と縦割り行政機関認証を統廃合し、一貫した食-紹介書の定期刊行、行政窓口と商工会・民間の「地域固有性」をコーディネートする再確認が求められるのではないだろうか。

  (初出典:田中一廣2015/3/14『奈良大和の食文化を考える』抜粋)

【freelance鵤書林107 いっこう記】


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