世間で似非事話しを見聞する事が多い昨今、昔書いた「“竜(龍)田揚げ”考」の小愚考を公開したが、少し註記して補足しておきたい。
ⅰ.唐揚げの起源:神饌の餢飳や糫餅に根本があるのだろう。しかし、肉・魚の食品の唐揚げと言う言葉自体文献に登場するのは明治末期に成ってからで意外と新しいのだそうだ。天婦羅(てんぷら)は近世(江戸期)からあるのであるが…。当初は「虚揚げ」や「空揚げ」と表記したらしい。
もっぱら天婦羅や湯豆腐のおろしにされる「紅葉おろし」なるものは江戸期からあって、下方江戸の豆腐一丁は今の四倍位の大きさで、切り口に紅葉のレリーフが施したものであったそうである。それは「買(こ)うよう=紅葉(こうよう)」の語呂合わせだと落語話で聞いた事がある。
ⅱ.学校給食:我が国の学校給食は、明治22年山形県鶴岡市私立忠愛小学校で貧困児童に無料給食が提供されたのを嚆矢とし、昭和12年以降戦時下中断したと言う。その多くは、戦後の昭和22年1月頃栄養状況悪化が深刻化し、全国都市部の小学校児童約300万人を対象として進駐軍である米国から食材の脱脂粉乳が提供されて始まった。完全給食が全国に広まる中、昭和27年アルマイト食器に脱脂粉乳とコッペパンと共に〝鯨の竜田揚げ〟が登場したとされる。昭和後半期(筆者の記憶では昭和41年導入)に食材の問題から、新潟県三条燕の業者がメロンスプーンを改良して先割れスプーンを開発したのだそうだ。さらに昭和45年頃(筆者の経験では昭和45年・中学校でも牛乳のみの給食があった)、瓶入り脱脂粉乳になった。昭和51年に米飯給食が正式に導入されたと記録されている。平成20年になって目的は、栄養改善から食育への方向転換が図られたと言う。筆者らはまさに、アルマイト食器と脱脂粉乳・コッペパン・コッペパン利用揚げパンと竜田揚げ給食の真っただ中で育った事に気づく。
【freelance鵤書林96 いっこう記】
0コメント