大和の地勢と食文化の事

 奈良大和路の食文化を語るにあたって地勢と食文化を現代人に伝えておきたい

 古来より大和国(やまとこく)と呼ばれた奈良県は地勢上、菱形地溝盆地部の「国中(くんなか)」と「東山中(ひがしさんちゅう)」と称する大和高原地塁竜門宇陀山地山内を「宇陀山中(うださんちゅう)」、中央構造線溪谷吉野川で隔てられた南半を占める紀伊山地部を「吉野山中(よしのさんちゅう)」と呼び分けている。さらに河内平野と隔てる生駒山地東斜面から矢田丘陵部の平群(へぐり)谷、生駒(いこま)谷・田原(たわら)盆地部を「西山中(にしさんちゅう)」と呼び表わしている。

 これら五つの地域は環境・風土が異なり食文化・住文化にも差異があり、独自の景観を呈してきた。県内における地域とは、古来この五つの地域をさす✤。海の無い県の食文化は山川からの恵みが中心であるが、古代以来縦横に伸びた陸路・水路によって六十余州・諸外国に通じていた。

 その代表が鯖(さば)文化秋刀魚(さんま)文化で昆布(こんぶ)・鰊(にしん)・鰯(いわし)・鯣(するめ)干物が流通した食文化である。また内陸部特有の夏暑く冬寒い気候ゆえの産物も数多く生んだ。三輪素麺(みわそうめん)・凍豆腐(こおりとうふ・高野豆腐)はその代表だ。和菓子作りに欠かせない、吉野の葛もその厳しい寒さと清冽な水は、必要不可欠なのである。大和発祥の清酒も名水が必要だし、銘酒の副産物奈良漬生産も育んだ。

 都である「京」に対して「南京(なんきょう・南都)」であり続けた由、独自の食文化をも生み、京の「ぶぶ漬け」に対して大和の茶粥」も大和の人間の智恵である。21世紀の今日食産業となった「柿の葉すし」とて、口吉野・宇智の山国での海のご馳走と愉しむ為の保存食として生まれた。

 塩鯖や鯉(こい)は、大和路の祭事・晴事(はれごと)の「海物」として必要不可欠のものであり、簡素ながら理にかなった実質的な幸の食文化が数多く展開した。それらは、生きた化石とでも呼びたい大和社寺の神饌(しんせん)御供(ごく)の生物神饌・熟饌、神人供食(じにんきょうしょく)の直会(なおらい)に歴史の片鱗を垣間見ることができる。

行政は、盆地北西部・奈良市東部を「大和」、御所・高取・明日香以南を「奥大和」という二分、大和川以北と奈良東部・山添を「奈良北部」、御所・高取・明日香・宇陀以東を「奈良東部」、五條・吉野郡部を「奈良南部」と三分と捉えている。また市町村配置では、奈良市を「奈良(北和)」、山添・御杖・曽爾・宇陀・桜井・天理・田原本・三宅・川西を「東和」、生駒・大和郡山・安堵・斑鳩・平群・三郷・王寺・河合・上牧を「西和」、香芝・葛城・広陵・大和高田・橿原・明日香・高取・御所が「中和」、五條・大淀・下市・黒滝・吉野・東吉野・川上・天川・上北山・下北山・十津川・野迫川が「南和」の五つに区分し、152町村2組合村で発足した奈良県は、平成の大合併後も12市15町12村の39市町村が林立している。

【freelance鵤書林86 いっこう記】

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