なら 東大寺転害門(てがいもん) 名所旧蹟13

 国宝東大寺転害門は、東大寺の西辺の3門(西大門中門(慶長11〔1606〕年の焼失以来、焼門と言う)・転害門)の一つ。一条大路に開かれた佐保路門とか景濱門・手掻門とも呼ばれた3間一戸8脚の木組み門。正倉(正倉院)と共に、治承の兵火(1180)・永禄の兵火(1567)など幾多の難に遭うも大事に至らず伝えられた天平建築遺構の一つ

 節の残る自然木の荒々しい柱などには、よく見ると突き刺さった鏃や火縄銃の弾痕痕が今も残る。横面の蟇股二重虹梁が素朴で力強く美しい(見学自由)。

 門前の一条通南西角に居を構えていたのが塗師屋の豪商「松屋」で、天文2(1533)~慶安3(1650)年に書き継がれた『松屋会記』は堺の『天王寺屋会記』と並んで有名。

【freelance鵤書林58 いっこう記】

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