なら 工藤精華堂(くどうせいがどう)址 名所旧蹟7

 工藤精華堂は、徳島出身の工藤利三郎(くどうりさぶろう・嘉永1〔1848〕~昭和4〔1929〕)が明治26年猿沢池東岸菩提町に開業した写真館。後大正13年賑わう登大路の博物館北側に移り、「精華苑」と称す。奈良に於ける佛教美術写真の先哲である。

 自ら坂東武者・工藤祐経(すけつね)の末裔と名乗り号は「呑澤」と称す。工藤精華堂刊豪華写真集(1908~1926)『日本精華』全10輯・特別輯がある。背後には、同郷出身の歴史学泰斗喜田貞吉・当時の興福寺勧学院学頭・院長佐伯定胤が援助した事が大きく影響した様だ。

 會津八一には自慢の養女「コトノ(お琴さん)」を娶れと進める程だったと言う。『放浪唫草』に「別府の宿より戲に奈良の工藤精華に贈る/そらみつ やまと の かた に たつ くも は きみ が いぶき の すゑ に か も あらむ」と詠んでいる。

 散逸を免れた原版や書籍・遺品は永野太造らの尽力で、昭和42年奈良市に寄贈された(国登録有形文化財指定)。近刊、安達正興(2015)「呑澤・工藤利三郎-世を風靡した呑んだくれの古美術写真師-」『奈良まち奇豪列伝』奈良:(株)奈良新聞社 に利三郎を取り巻く八一や縁の人物の話が登場し興味深いが、誤認・誤記も多い。(写真が語る近代奈良の歴史研究会編(1992)『醉夢現影-工藤利三郎写真集-』奈良:奈良市教育委員会、中田善明(2006)『明治の写真師 工藤利三郎-国宝を撮した男-』大阪:向陽書房)。

【freelance鵤書林52 いっこう記】

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