南都八景とは、相国寺鹿苑院蔭涼軒主日記である『蔭涼軒日録』(寛正6〔1465〕年九月二十六条)に見えるもの。中国の瀟湘八景を倣う、「東大寺の鐘・南円堂の藤・佐保川の蛍・猿沢池の月・春日野の鹿・三笠山の雪・雲井坂の雨・轟橋の行人」の八か所である。鎌倉期以降南都の入り口として旅籠を中心に発達したのが転害郷であり、末尾二箇所が般若寺に向かう国道169号線道中右手に石碑が建てられている。京街道に架かる現石橋、「佐保石橋」は慶安3(1650)年築造である。
【freelance鵤書林47 いっこう記】
南都八景とは、相国寺鹿苑院蔭涼軒主日記である『蔭涼軒日録』(寛正6〔1465〕年九月二十六条)に見えるもの。中国の瀟湘八景を倣う、「東大寺の鐘・南円堂の藤・佐保川の蛍・猿沢池の月・春日野の鹿・三笠山の雪・雲井坂の雨・轟橋の行人」の八か所である。鎌倉期以降南都の入り口として旅籠を中心に発達したのが転害郷であり、末尾二箇所が般若寺に向かう国道169号線道中右手に石碑が建てられている。京街道に架かる現石橋、「佐保石橋」は慶安3(1650)年築造である。
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