小高い地に位置する佛頭山橘寺は用明帝の離宮のあった処で、厩戸皇子(聖徳太子)誕生の地とする。太子自ら勝鬘経を講じ、建立の七ケ寺の一つと伝承する寺院である。昭和28年の発掘調査で、地形に合わせ東西方向の塔・金堂・講堂が並ぶ四天王寺式伽藍配置をとることが分かり、半裁塔跡の基壇と柱座となる彫り込みのある地下式の花形心礎がそのまま放置されている。花形に見えるのは丸芯柱の三方の添木穴であるが、用と美の微妙な結合である。
火災(天武9(680)年4月11日尼の房失火十房焼く)の『紀』の記録から7世紀後半には尼寺が建立され、66の堂舎を誇ったとされる。近世末期には仮堂が一つあっただけを篤志家が寺の再興をはかったのが現在の建物と外観。東門から境内に入ると正面に本堂の聖徳殿があり、現存最古の聖徳太子三十五歳像(室町)・日羅像(太子師日羅擬・地蔵菩薩立像・貞観)を祀る。左に鐘楼、塔跡・宝蔵・経堂・畝割塚、右に庫裏・観音堂・護摩堂がある。観音堂では如意輪観世音菩薩が安置されている。銅製太子黒駒像も近年境内に立ち、蜜柑の原種・田道間守説話の不老長寿「トジギクノコノミ」大和橘も植えられた。本堂南の無垢な顔つきの善面と大きくゆがめられた悪の対比の二つの顔を持つと説く二面石も必見。伝吉備姫王墓の猿石4体と姿形酷似から同じ場所(平田梅山古墳南堤字ツクエ・平田キタガワ遺跡)から掘り出されたと考えられるが謎の石造物だ。現在は天台宗寺院。
【freelance鵤書林27 いっこう記】
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