穴師坐兵主神社(いっこう寺社解説14)

 穴師坐兵主(あなしにいますひょうず)神社祀神は、穴師兵主神(御食津神)・大己貴命・天鈿女命・稚産霊神である。崇神帝御世、皇女倭姫命が天皇の御膳の守護神としての奉斎が始まりとする。景行帝の御世、八千矛神を尊ばれ宮中近くに兵主大神を祀らせたという。

 『神名帳』城上郡には、「穴師坐兵主神社・穴師坐大兵主神社・巻向坐若御魂神社」の三座記載があり、元は別々にあったようだ。穴師の二座の一つは弓月嶽の穴師坐兵主神社(上社)で、今の地は穴師坐大兵主神社で下社にあたると言う。『延喜式』には名神大社に列せられている。応仁元(1467)年に上社が焼失し下社の相殿に移したとする。名も大の字が消え今は単に「穴師坐兵主神社」と呼んでいる。

 軒唐破風の付いた入母屋瓦葺の拝殿の奥に堅牢な千鳥破風付きの流造の本殿がある。近年覆屋取り払い檜皮葺を銅板葺に改めた三社相殿、中央に穴師坐兵主神社・左に穴師坐大兵主神社・右に穴師坐若御魂神社を合わせ祀る。上社・下社とも神体は武勇の象徴「矛」なので兵主神と呼ばれる。境内には貞享5(1688)・元禄1・2(1688・1689)年銘などの石灯籠群があり、祭礼渡御絵巻・兵主大神御尊影・伊賀守藤原金直銘太刀などが伝わる。

【freelance鵤書林26 いっこう記】

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