氷室神社は元明帝御世(707~715)、平城新都春日御料山に「闘鶏稲置大山主命」を鎮祀され平城七朝の氷室「春日氷室」が設けられ毎年4月より9月迄京に氷を献上した。平安奠都後は廃しを経て清和帝御世、貞観2(860)年現在地に奉遷左右二神「大鷦*鷾*命・額田大仲津彦」を増して三座とされ、春日社の別宮に属した。興福寺・春日社の朱印高二万石の内、社頭所禄三方楽所料二千石(平群郡椿井・惣持寺・神南村ほか)によった。我が国三大楽所(がくそ)の南都(興福寺)楽人は、近世期までここ氷室神社に属していたのである。本殿東の末社は南都舞楽の祖 狛光高公を祀った「舞光社」の存在を知る人は少ない。現在は、駐車場経営と冷凍氷業界の奉賛を得て維持されている。舞台の舞殿を備えた文久3年造替檜皮葺三間社流造り本殿、禁裏御所より下賜された切妻本瓦葺四脚門・翼廊は県指定文化財。樹齢100年の枝垂れ櫻は見事。
【freelance鵤書林16 いっこう記】
0コメント