東大寺は、天平15(743)年聖武帝が国家平安を祈って発願(「大佛建立詔」)建立された総国分寺「金光明四天王護国之寺」華厳宗総本山。金堂にあたる世界最大の木造建築大佛殿(正面7間57m・高さ48m、創建時11間88m・9年をかけ天平勝寶4〔752〕年4月9日開眼法会・文武百官僧一萬人)に華厳経世界観で、世界をあまねく照らす光の大佛・像高16mの国宝毘盧遮那佛(奈良の大仏・黄金440㎏・銅500t・水銀2,200㎏の金銅製)が座します。二度に渡る全焼溶解の難(治承4〔1180〕年・平重衡、永禄10〔1567〕年・松永久秀)を経て、公慶上人(1648~1705)・公慶元禄再興大佛殿再建(寶永6〔1709〕年)は規模を縮小・簡素化しながらも100年を費やし中門・廻廊が整備された(大佛殿の百尺(約30m)に架けられた長さ13間(約25m)・元口4尺3寸(1.3m)・末口3尺3寸(1m)・重さ5,435貫(約20t)の2本の松大虹梁が日向国諸懸郡山中から運ばれた他、材木26,723本を要としたと『大佛再建記』は記す)。江戸復原大方廣佛頭部の螺髪は966ではなく496個と近年判明。
華厳寺の扁額の架かる正門の南大門(高さ25m)・鐘楼は宋国より将来の工匠陳和卿による大陸和様折衷(大佛様)鎌倉再興俊乗房重源(1121~1206)・栄西の焼け残った遺構。慶派仏師運慶・快慶・定覚らが69日で製作したと言う阿形(右)吽形(左・通常の逆で向かい合う)の8.3、8.4mを超す国宝金剛力士立像と共に裏の将来石大工伊行末製作は寧波石材の我が国最古石獅子建久7(1196)年製で必見。
猫段から昇る上堂伽藍・法華堂(三月堂)は元の金鐘寺の遺構の一部である。壮大な東西七重塔院・講堂などの伽藍は礎石と基壇を残すのみである。
現在塔頭は数を減じながらも本坊周辺と焼門からの裏参道に展開、平成に入りミュージアム(東大寺総合文化センター)開館も結願し、筒井寛昭・森本公誠長老の後を受け狭川普文管長(222世別当)により正平17(1362)年落雷焼失東塔址の整備が進行している。
【freelance鵤書林15 いっこう記】
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