節分(せつぶん)とは:季節の分かれ目のこと。二十四節気の立春(りっしゅん)・立夏(りつか)・立秋(りっしゅう)・立冬(りっとう)の前日。太陽太陰暦(旧暦:和暦)の正月に近い立春の前日が最も重要とされる。その為に正月や小正月と同じような年頭行事を行う。現在の太陽暦(明治5年12月3日改暦)では2月3日または4日にあたる。豆撒き・豆占・追儺の行事が行われる。
豆撒き(まめまき):炮烙(ほうらく)で炒った大豆を一升桝に入れ神棚に供え「福は内・鬼は外」と唱えながら豆を年男や戸主などが、神棚~各部屋~出入り口へと撒く。撒き終わると悪いものが入ってこないように、「やいかがし」(ヒイラギ(刺葉)に鰯の頭を刺したもの。鬼が臭気と刺を嫌う。焼き嗅がしの意)を門口に飾り急いで戸を閉める。大和や河内では家屋で行う前に氏神・村(町)内の地蔵や庚申などにも詣で豆を供え、他家の物と交換して持ち帰り戴く習慣があった(それを食すと歯が良くなると言われたものだ)。鬼を祀っている寺社や鬼の字が付く地域・姓では、唱え方は「鬼も内」となる。ちなみに金峯山寺では「鬼も内」・大神神社では「鬼は山」と唱える。
豆撒きが終わると「年の豆」と言って家族がそれぞれ自分の歳の数に一つ加えた数の豆を食べ、丈夫にまめまめしく生きる健康を願う。大和・河内・山城などの京畿地方では晴の食である海苔巻きの「巻きずし」を作って祝う。最初にそれぞれ一本無言で丸かじりして食す。言葉を発すると忌みとされた。この習慣を昭和50年代に新参大阪商人の寿司屋(関西では寿司などと記さない。あくまで「鮨」である。)が広め、現代ではスーパー・コンビニの目玉商品にすらなった。恵方も宗教関係者・マスコミが仕かけた喧伝ごと。また、近年は各地の寺社で豆撒きをする処も増えた。
追儺(ついな):追儺は本来宮中行事。鬼を払う役を方相氏(ほうそうし)と言い、四ツ目の面を付け矛と盾を持ち大声を上げて内裏を回った。逆に方相氏自身が鬼とされ追われる対象となり、寺院の修二會や星祭に取り込まれ神社でも節分祭を行う処が多い。大和では鬼や毘沙門天が出て来るパフォーマンスを行う寺社は、興福寺・大安寺・金峯山寺・信貴山朝護孫子寺・大和神社・法隆寺薬師坊西円堂がある。法隆寺を除いて何れも戦後高度経済成長期(近年)に出現したもの。
豆(まめ)占(うらない):節分の夜に火鉢や囲炉裏に大豆を月の数並べ、焦げ具合で、その年の吉凶・天候・作柄を占う。宇陀市大宇陀の野依・木津川市相楽などでは伝統を今も継承されている。雪の積もる夜中8時頃から始まり11時頃まで男衆が寄り合って見守る誠にほのぼのとした行事で懐かしい思い出がある。
(freelance鵤書林1 いっこう記)
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