〝地名伝承学〟を提唱し、自ら日本地名学研究所所長(奈良市高天市東町・池田ビル内設置)として、私財を投じて奈良大和の地名研究・地域史研究に生涯を掛け、全国唯一自治体史の刊行を見ない奈良県に対して自力で分野別の奈良県史(全18巻・編集委員会編・㈱名著出版刊・1985~98)を編集推進したのが、在野研究者池田末則(いけだすえのり・1922~2011)氏であった✤。著作物から奈良大和の難解大字地名を列記しておく。さて貴方は幾つ読め幾つ知っていますか。
修理枝(しれだ)・都介野(つげの)・箸喰(はしばみ)・商家(たいえ)・賀名生(あのう)・興留(おきどめ)・狭戸(せばと)・蛇穴(さらぎ)・膳夫(かしわで)・茗荷(みょうご)・善城(ぜんぎ)・鴨公(かもきみ)・馬司(まつかさ)・雲梯(うなて)・頭塔(ずとう)・馬取柿(まとりがき)・越智(おうち)・磯城(しき)・庵治(おうじ)・無山(むやま)・檜川追(ひこがせ)・御所(ごせ)・雷(いかずち)・福知堂(ふくつと)・陵西(おかにし)・葛(くず)・曾大根(そうね)・當麻(たいま)・野迫川(のせがわ)・漢国(かんごう)・紫園(しおん)・誓田林(せたりん)・忍海(おしみ)・助命(ぜみよう)・油留木(ゆるぎ)・忍辱山(にんにくせん)・谷田(やた)・奉膳(ぶんぜ)・忍坂(おつさか)・阿字萬字(あぜまめ)・相河(そうご)・志都美(しずみ)・芹井(せえりん)・追(さこ)・肘塚(かいなずか)・東九条(とくじよう)・追西川(せえにしがわ)・杉ケ町(するがまち)・京終(きようばて)・洞川(どろがわ)・佐名伝(さなて)・東川(うのかわ)・追間(はざま)・一(かず)・引手原(ゆではら)・矢走(やばせ)・二名(にみよう)・小綱(しようこう)・井上(いね)・十輪院(じゆうるぎ)・千代(ちしろ)・五百井(いほのい)・入野(しおの)・下居(おりい)・丹坂(にざか)・入之波(しおのは)・山陵(みささぎ)・中貫(なかづら)・九尾(つずらお)・上総(かんさ)・生子(うぶす・おぶす)・三碓(みつがらす)・上多古(こうたこ)・向淵(むこうじ)・川西(こうざい)・大豆越(まめごし)・羽内(ほうち)・井足(いだに)・井光(いかり)・杏(からもも)〔以上『大和郷土名のゆかり』高田郷土文庫1953〕。十三(じゅうそ)・十六面(じゅうろくせん・とむもて)・八釣(やとり)・七色(なないろ)・乃楽(なら)・小(こむら)・小夫(おうぶ)・小名(こな)・小長尾(こなご)・大豆村(まめむら)・大神(おおみわ)・大倭国(やまとのくに)・大養徳(やまと)・三吉(みつよし)・三綱田(さんごで)・上谷(こうだに)・上居(じょうご)・川原樋川(かわらびがわ)・女寄峠(みよりとうげ)・与楽(よらく)・五百家(いうか)・五百瀬(いもせ)・今国府(いまごう)・今御門(いまみかど)・天ノ川(てんのかわ)・六田(むだ)・木津(こつ)・丹治(たんじ)・公納堂(くのうどう)・不審辻子(ふしんがずし)・戸毛(とうげ)・内原(ないばら)・手掻(てがい)・仁興(にごう)・平山(ならやま)・平岡(たいおか)・平群(へぐり)・甘田(かんだ)・甘羅村(かむら)・白毫寺(びゃくごうじ)・白銀岳(しらかねだけ)・市経ノ家(いちぶのいえ)・市磯池(いちしのいけ)・生田(おいだ)・石上(いそのかみ)・尼寺(にんじ)・立川渡(たてかわど)・穴闇(なぐら)・他田庄(おさだのしょう)・矢走(やばせ)・田身嶺(たむのみね)・込ノ上(こみのうえ)・外山(とび)・玉立(とうだち)・疋相(ひきそ)・布留(ふる)・巨勢(こせ)・安井庄(あいのしょう)・安居院(あんごいん)・安騎野(あきの)・多田(おいだ)・多郷(おおごう)・江出(えずる)・吐田(はんだ)・百々川(どどがわ)・百市(もものいち)・西代(にしんだい)・西河(にじっこう)・宇宮原(うぐはら)・吉城川(よしきがわ)・吉隠(よなばり)・曲川(まわりかわ)・色生(いろう)・向加名生(むかいあのう)・伃邑(よむら)・自明(じみょう)・仲峯山(ちゅうぶせん・ちゅうむざん)・老野(おいの)・地黄(じおう)・竹筒(たけとう)・此瀬(このせ)・初利(はっつり)・佐味(さび)・角柄(つのがら)・那羅(なら)・芳山(ほやま)・芳野(ほうの)・戒外(かいげ)・戒重(かいじゅう)・住川(すがわ)・伯母谷(おばたに)・吾城(あき)・身狭(むさ)・兵家(ひょうげ)・宗川野(むねがわの)・宗檜村(むねひむら)・長谷郷(はせごう)・国栖(くず)・泊湍川(はつせがわ)・泊瀬(はせ・はつせ)・和邇(わに)・宜守川(よしきがわ)・狐井(きつい)・沼田原(ぬたのはら)・居出(いで)・苣原(ちしゃはら)・押熊(おしくま)・神下(こうげ)・神山村(こうやまむら)・神末(こうずえ)・神南(じんなん)・神納川(かんのがわ)・神通寺(じんどじ)・神楽(じんらく)・神殿(こどの)・香山(かぐやま・こうぜん)・香束(こうそく)・香落谷(こおちだに)・城戸(じょうど)・城殿(きどの)・飛火野(とぶひの)・飛養曽(ひょうそ)・南田(みのだ)・南角(みのずみ)・栄山(さきやま)・拾生村(ひろおむら)・栂本(とがのもと)・送迎(ひるめ)・重阪(へーさか)・発志院(はしのいん・はっしいん)・待乳山(まつちやま)・染野(しめ)・高市(たけち)・高津(たこうつ)・俱尸羅(くじら)・桃花鳥田(つきだ)・烏ノ塒屋山(からすのとややま)・振川(ふるかわ)・破石町(わりいしちょう)・根成柿(ねなりがき)・荷坂(みのさか)・砥取(ととり)・唐笠山(とがさやま)・鬼園山(きおんやま)・秦楽寺(じんらくじ)・帯解(おびとけ)・夏箕(なつみ)・隆霊寺新田(ぶりょうじしんでん)・疱瘡峠(いもとうげ)・都祁村(つげむら)・郡家(つげ)・都跡(みあと)・深川(ふかわ)・庵住(いおずみ)・野依(のより)・鹿野苑(ろっきやお)・鹿路(ろくろ)・率川(いさがわ・いざがわ)・鳥子(ちょうし)・菟田(うだ)・麻生田(あそだ)・閉君(とじきみ)・転害門(てがいもん)・畦樋(うねび)・御蓋山(みかさやま)・御諸山(みもろやま)・飯貝(いいがい)・飯髙庄(ひだかのしょう)・飯降谷(いぶりだに)・椋橋(くらはし)・勝目(かじめ)・勝南院(しょうなみ)・等由良(とよら)・曽爾(そに)・雲飛(うねび)・葛山(かづらきやま)・象山(きさやま)・登大路(のぼりおおじ)・富本(とんもと)・椙本(すぎもと)・椚(くぬぎ)・椣原(ひではら)・結崎(ゆうざき)・興富(おきとみ)・斑鳩(いかるが)・粟殿(おうどの)・遅瀬(おそせ)・新口(にのくち)・新子(あたらし)・新木(にき)・新住(あたらすみ)・新泉(にいずみ)・新野(にの)・楊梅(やまもも)・勢井(せい)・勢野(せや)・跡見山(とみやま)・飽波(あくなみ)・椹原(ふしはら)・豊浦(とゆら)・暗越(くらがりごえ)・篠幡(さきはた)・嫩草山(わかくさやま)・稲宿(いないど)・寧楽(なら)・横領(よこりょう)・磐余(いわれ)・蔵堂(くらんどう)・碾磑門(てがいもん)・薑村(はじかみむら)・薬園(やくおん)・檜股(ひのきまた)・檜前(ひのくま)・檜垣本(ひがいもと)・檀弓岡(まゆみのおか)・檀岡(まゆみのおか)・嶺大深(みねおぶか)・橿生(かしふ)・餅飯殿(もちいどの)・観覚寺(かがくじ)・闘鶏(つげ)・櫟本(いちのもと)・櫟庄(いちいのしょう)・櫛羅(くじら)・蘇邇(そに)・簾(すだれ)・藺生(いう)・藷楽(なら)・獺瀬(うそせ)・纏向(まきむく)・籠山(こもりやま)・鷲家(わしか) 〔以上『地名伝承学』日本地名学研究所1986〕。
その他、鵲(かささぎ)・榛原(はいばら)・箸中(はしなか)・江包(えっつみ)・海柘榴市(つばいち)・多武峰(とうのみね)・掖上(わきがみ)・秋津島(あきつしま)・道穂(みちほ)・忌部(いんべ)・真管(ますげ)・中曽司(なかぞうじ)・新澤(しんざわ)・南畑(みなんばた)・壱分(いちぶ)・立里(たてり)・十津川(とつかわ)・湯泉地(とうせんじ)・大慈山(だいじせん)・虚空蔵(こくうぞう)などが管見に上る。
✤氏は土地の命名には、地理・歴史・民俗・政治・経済・文化など様々の要因があり、地名研究は多面的複雑で困難な作業を伴うとする。同じ様な地形であっても呼称が異なり、同じ呼称でも地形が違ったりもする。小字名の収集分類・史料整理検討から導き出された結論は、発生時期・地域・命名集団の問題等々、伝承過程で原形を失う場合が多いのであり、語義を考証する為には伝承過程を明らかにする事が重要であると主張する。
【freelance鵤書林140 いっこう記】
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