本Blog食文化綴りと記録は、筆者の原体験(1950年代~1970年)を基に大正・昭和一桁生まれの方々より聞き取った事柄から記述しているものである。
近年(21世紀)になって、地勢・風土を全く知らない四十物が真しやかに喧伝する二つの事を指摘する。
一つは、奈良県全体を指す場合往古より「大和」とか「大和路」と称し、単に「奈良」と言えば「乃楽・寧楽・那羅・平城・奈良・(なら)」と呼ばれた旧奈良町制地域(南京・南都)を指す言葉であり地名である。
それを経済的理由によって、中核都市行政市域が旧郡を遥かに越えて東部・南部・西部に広がった事もあるのか、使い分けを全く混同し、奈良県全域・市域全域を奈良と誤認・誤記している事柄を指摘する。吉野や御所・新庄・平群・龍田・生駒・小泉・郡山・田原本・八木・三輪・丹波市・柳本などなど旧宿場町・城下町なんぞは奈良などと言って頂きたくないものだ。
奈良市内と言えども、月ヶ瀬・都介野・針ケ別所・柳生・大柳生・狭川・須川・東里・東山・田原・佐保・都跡・伏見・平城・富雄・東市・辰市・帯解・五ケ谷其々地勢を異にするのは承知の事実である。
二つは、「大和にうまいもん無し」の俗謡を奈良に読み替えて奈良は「うまいものの無い所」と発言した文人志賀直哉の似非事を教員や食産業に関わる馬鹿者が、「奈良にうまいもの無し」・さらに「奈良県」に増幅させて喧伝させている事項がある。これらは原典も知らず無知の極みと言わざる負えない笑話に止まらず、捏造事は遺憾を通り過ぎて怒りすら覚える。
この俗謡は単に田舎で京や大坂に比べて特別な物が在りませんと来訪者に対して謙遜して発する大和人の言葉であるにも関わらず、引っ越しが趣味の庶民からほど遠い9年の高畑生活上流老人の独り言に過ぎなかったと指摘する。原出典は、志賀直哉1942『早春』所収「奈良」の項・昭和17年7月 東京:小山書店刊にある。
【freelance鵤書林102 いっこう記】
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