東大寺では創建に尽力した4人の高僧、即ち発願聖聖武天皇、勧進行基菩薩、開眼僧正菩提遷那、開山良弁僧正を四聖とする。
行基菩薩は天智7年河内国大鳥郡蜂田郷(津久野・家原寺が誕生地)の百済系渡来人の出生と記す。15歳で出家し法相の祖道昭、義淵の弟子となって教学を修めたが、両親の死別を期に学問佛教から転じ、生駒山中にこもり山林修行に励み、民衆の中に入り池溝・道橋・布施屋を開いて社会活動・民間布教に活躍した。行基の目指す民衆佛教運動から生き仏と崇められ慕って集まる人々は列をなしたと言う。これらは当時の国家佛教からは、養老1(717)年「僧尼令」違反で弾圧を受けた。聖武帝勅願の大佛建立の一大事業に76歳の行基の力を貢う帝の心に応えて、勧進職に任じられた。弟子達との大佛勧進は、教化を受けた民衆によって成し遂げられ、功により天平17(745)年大僧正の称号が与えられたと『行基年譜』に記す。天平感寶1年(天平勝寶1年説)喜光寺東南院にて示寂し、遺命による墓所は「行基墓」として南生駒竹林寺に残る。墓誌が文暦2(1235)年掘り出され(「舎利瓶記」)、本体は失われたが断片が現存している。
【freelance鵤書林42 いっこう記】
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