法隆寺東院(いっこう寺社解説17)

 東院は11世紀に至って法隆寺に吸収されたが元々別寺院であった。僧行信天平19(747)年聖徳太子を祀る為に太子供養堂を建立し、推古天皇9(601)年造営の太子・山背王の斑鳩宮址に建立したと言う、「上宮王院」を前身とする(『東院縁起』)。解体に伴う下層調査で、創建の「七丈屋」「廻廊」が発見されている。

 現在の夢殿と呼ばれる国宝八角円堂(天平11〔739〕年)の位置は、太子が瞑想にふけった居室址と言い、円堂を取り巻いて重文廻廊(鎌倉)・重文南門(長禄3〔1459〕)・重文舎利殿及び絵伝(建保7〔1219〕年)・重文礼堂(寛喜3〔1231〕年)・国宝伝法堂(奈良) の東院伽藍を構成する。重文大垣(元禄9〔1696〕年)に囲まれて国宝鐘楼(鎌倉)・重文四脚門(鎌倉)の配置をとる別寺院である。

 御本尊は、聖徳太子の化身とされてきた木造彩色秘仏中の秘仏 救世観世音菩薩(飛鳥・全長179.9㎝・明治17年岡倉天心(1863~1913)・フェノロサ(1853~1908)が壬申検査で像が開帳された話は有名)。春・秋の厨子御開帳される公開日に外観からお顔を伺う事が出来る。舎利殿は太子二歳時の南無佛舎利を納め、絵伝は太子の事績を絵画で絵説きする施設で、正に佛教の三昧殿と言う事ができる。法隆寺の七不思議夢殿の礼盤の裏が汗をかく(毎年2月に水取りをし吉凶を占う)・開かずの南門・閉めずの門も必見。また東院から西院への塔頭前の大道は西院主軸より20度北に振った西偏角度の斑鳩宮や創建法隆寺(斑鳩寺:若草伽藍)に合致した路である事にも注目。

【freelance鵤書林29 いっこう記】

0コメント

  • 1000 / 1000