毎年5/18・5/19(2017年は19・20日)に春日大社・興福寺南大門「般若の芝」で行う古式に復した、奈良薪能保存会主催の催し。元は南都興福寺の伝統儀式と御能。奈良市指定文化財。全国で催される薪能の始まりとされる。現在、18日は春日大社舞殿で「咒師走の儀」・19日は若宮社で「御社上の儀」が11時頃からあり、能を一番奉納する。夕刻(17時30分頃)から竹矢来(たけやらい)に囲まれた特殊舞台の南大門址で、扮する僧兵により薪・提灯に火入れに始まる「南大門の儀」が執り行われる。炎々と燃え上がる焔と流れる白煙で場内を浄化し、笛・太鼓・地謡と共に舞が演じられ、幽玄の世界へ誘う。大和猿楽四座の伝統を汲む「観世・金春・宝生・金剛」の能楽と大蔵流による狂言が演じられるのである。
歴史:興福寺に伝わった行事で、平安期の西金堂修二会(旧暦〔日本太陽太陰暦〕2月)で咒師猿楽・薪猿楽が好行されたと言う。記録では貞観11(869)年頃とする。猿楽は唐散楽から発したもので、芸を磨いて能が成立すると大和能楽四座が奉仕した。神聖薪を神共式手水屋に炬き、その明かりのもと演じられた。中世には咒師猿楽が衰退すると、衆徒の争いもあり西金堂と東金堂の屋外に移り、南大門「般若の芝」へ移っている。鎌倉末期から南北朝期には戦乱などによって中止が続き、近世期でも社会情勢でしばしば中断しながらも明治期を迎えたが、明治以後廃絶した。
復興萌芽の昭和18・19を経て昭和21(1946)年、咒師法の儀が春日神社(当時)で修祓された。この年を復興元年(第1回)とする。昭和27(1952)年、四座参勤して南大門の儀が復活。昭和36(1961)年からは、紆余曲折がありながらも行政主導で県・市観光協会・奈良薪能保存会(市観光協会内)の共催行事となっている。
【freelance鵤書林4 いっこう記】
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