欽明帝期に百済国聖明王より佛教が公伝・推古帝期に法興寺創建以来、飛鳥から奈良時代にかけて我が国において佛教が成熟する中で、伽藍配置も理念の中で変化を遂げた。
飛鳥寺式-南面して、塔を中心に北に中金堂・左右に東・西金堂を配す。中金堂の背後が講堂。
四天王寺式-塔・金堂・講堂が一線上に並ぶ。
法隆寺式-塔と金堂が右左横一線に位置する。講堂はその背後。法起寺では塔・金堂左右逆配置。
薬師寺式-金堂と講堂の中央線の両側、金堂の南に東西両塔(双塔)が並ぶ。
東大寺式-薬師寺式の東西両塔が中門の外に並ぶ。
大安寺式-東西両塔が南大門より外に飛び出し塔院を形成。
これらのあり様は、舎利塔として意義から佛像信仰の浸透による時期的変遷を追う事が出来る。七堂伽藍とはー主要伽藍である塔・金堂・講堂と南大門・中門・鐘楼・経蔵、(食堂・僧坊)の七つの堂宇を指すが、氏寺などの私寺では必ずしも全て揃っていた訳ではなさそうだ。官寺ではその他に円堂など特別な堂宇もあった様だ。転じて堂宇の完備している様を指す言葉に用いられている。塔は佛の舎利を納めたもので「佛」を金堂は「法」を講堂は「僧」を表わし、これまた「三寶」が表象されている。
【freelance鵤書林72 いっこう記】
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