現在華厳宗別格本山で住職は中田定観師。天平19(747)年聖武帝病気平癒祈願の為光明皇后が建立した寺院という『東大寺要録』。平成20(2008)年奈良教育大学構内の発掘調査で基壇全体68m再建東大寺大佛殿に匹敵する正面9間佛殿の大規模建物60mの存在が明らかにされ、応和2(962)年台風で倒壊した七佛薬師金堂址の発見と考えられている。中心は本薬師町あたりで、東西両塔を持つ大伽藍であった様だ。現入母屋造の国宝本堂は創建伽藍の寺地東部外れに相当、食堂を改築したものと伝え、中世の壇正積基壇の上に建つ。
本尊は国宝薬師如来(貞観)と円形須弥壇に取り巻く眷属の塑像十二神将(天平11体国宝)が展開する。薬師如来は光背に七薬師の代わりに六体の化佛を配し七佛薬師を表すという。また見開いた目に特徴があり、眼病に霊験がある庶民信仰があった。鎌倉期の『建久御巡礼記』に東大寺末寺で、聖武帝が眼を患った時建立されたとしているのに由来するのだろう。
現在の東門・南門・鐘楼・地蔵堂は鎌倉期の遺構。會津八一の歌碑にある香薬師は、高さ二尺三寸(約70㎝)の白鳳の金銅薬師如来立像で、仏に宇宙の普遍・仏教の真を見、像の造形美を見事に詠み込んでいる。香薬師堂は碑背面庫裏内にあるが、佛は昭和18年盗難に遭い、八一は悲しんで「みほとけは いまさずないて ふるあめに わがいしぶしの ぬれつつかあらむ」と空虚感を詠んだ。像は未だ姿を現さないが、外れていた右手首が各地を転々とした末平成27年5月に鎌倉市の寺で確認され話題をよんだ(貴田正子〔2017〕『香薬師像の右手-失われたみほとけの行方-』東京:講談社)、明治23・44年の2度盗難に遭った際に切断。法隆寺夢違観音と並ぶ白鳳期小金銅佛の傑作である。
【freelance鵤書林13 いっこう記】
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